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古今亭志ん生の遺産を巡る週刊誌記事について

 子供の頃、ぼくは落語が好きで、真似事みたいなこともしていました。なので、73年に亡くなっている「古今亭志ん生」の名も、たぶんリアルタイムで知っていたはず。ただ、いつ聞いたのかの記憶があいまいになるほど、没後も話題に登ることが多い人でした。まさにレジェンドを超えたレジェンドですね。
 その古今亭志ん生について、今日(3月21日)発売の週刊文春に興味深い記事がありました。その遺産を相続していた長女の美濃部美津子さんが2023年8月に99歳で亡くなっているのですが、このときに遺した遺言によって、全ての財産が第三者である寺院に渡っていることを最近になって“遺族”が知り、騒動になっているというのです。
 当サイトをふだんからごらん頂いている人ならご承知おきの通り、ぼくは遺言・相続と著作権を主業務に掲げています。加えて、騒動の中心部分にいる遺言執行者が行政書士だということもあり、他人事ではない気もしています。このブログには、あまり時事的な記事は書いてきませんでしたが、今回はこの件についてきちんと論じておきたいと思います。

 記事のタイトルは「伝説の噺家の遺族が悲痛激白『志ん生の落語に関わる権利すべてが奪われた!』」というもの。Web版はこちら(文春オンラインhttps://bunshun.jp/articles/-/69681)です。ただし内容はさわりだけです。
 タイトルからも解るように、記事は基本的に“遺族”側の視点です。少し引用してみましょう。

 美津子氏が他界した2カ月後の10月ごろに、遺族の前に「遺言執行者」の行政書士M氏が現れた。そして、その遺産は第三者へ遺贈されると告げられたのだという。遺言公正証書の財産目録を見た遺族は目を見張った。現金は預貯金約7200万円。「その他」の項目に、〈美濃部孝蔵氏(志ん生)著作権等〉〈写真等〉とあったためだ。
 つまり、お金だけでなく志ん生の著作や音源、映像など落語にかかわる権利すべてが、遺族以外にわたるというのである。

 また、“遺族”を代表する扱いになっている噺家さん(故人の姪の子/志ん生の曾孫)の発言もあります。

「問題にしているのは根本的な部分。きょうだい間の気遣いで『苦労した美津子姉ちゃんが遺産を管理してほしい』という扱いになったと聞いています。これは美濃部家の財産を預かってもらっていたということ。赤の他人に遺贈するなんて想定していませんでした」

「まだらな認知症の気が見え始めた十数年前、美津子さんと突然連絡が取れなくなりました。探し回ると知らない内に『後見人』が付き、ゆかりのない川崎市の介護施設に入居していた」

 記事は、この後見人がM行政書士で、“遺言執行者、さらに遺言作成の証人にも名を連ねるなど、一人三役をこなしていた”と説明した後、さらに噺家さんの発言で総括しています。

「蓋を開けてみれば志ん生の財産、特に何より大切な志ん生の権利を寺に奪われていたんです」

 なお、演芸評論家・エンタメライター氏による、こんなコメントも載っています。

「今回の件は、落語会全体の問題です。財産目録の『著作権等』が幅広い意味に捉えられれば『火焔太鼓』や『柳田格之進』『井戸の茶碗』といった“志ん生落語”をしゃべるなから金を払え、と主張することも可能になります。さらに問題なのは志ん生という名跡使用もNGとなりかねない点。落語会では、襲名が期待されていますから」

 以上の話ですが、法律の視点からきちんと捉えてみましょう。
 まず、家系から。Wikipediaによると、美濃部美津子さんは志ん生の長子で、父の生前は付き人を務め、その後はエッセイストなどとして活動、自身の晩年は父や弟の権利関連の管理に携わっていたとのことです。結婚歴はあるものの離婚しており、子もいないようです。
 配偶者はなく、兄弟姉妹も既に他界しているため、法定相続人はその子どもたち(=甥姪)ということになります。その中でいちばん有名な人は、女優の池波志乃さんですね。なお、甥姪には再代襲はないので、亡くなっている場合はそこで終わりです。大甥・大姪まで行くことはありません。
 では、この「全額を第三者に遺贈」という遺言は、そのとおりに執行されるものなのでしょうか。
 近しい法定相続人には、遺留分という、遺産の最低保証が認められています。なので、包括の遺贈があっても、配偶者や子は、受遺者に対してその分の金銭の支払いを主張することができます。ただ、これは第二順位までと決まっているため、兄弟姉妹には遺留分はありません。今回の場合も、遺留分を主張できる人は誰もいないため、全額が遺言通りに執行されることになるのです。

 記事では、行政書士と寺院がヴィラン扱いされています。ただ、この寺院は浄土宗の古刹で、志ん生の墓もあり、縁もゆかりも無いわけではありません。行政書士の方がどういう人なのかは知りませんが、いかにも「怪しい」のムードを醸し出すために書かれている部分について、少し言及しておきます。
 “一人三役をこなす”などとされていますが、行政書士が公正証書遺言に関係する場合、証人になるのはごくあたりまえのことです。公正証書遺言には二人の証人が必要で、これは利害関係者ではできないため、相続人でも受遺者でもない行政書士が務めるのが、最も自然なのです(もう一人は、事務所のスタッフなどが務めます)。また、「この行政書士は、遺族に無断でことを進めた。怪しい! 寺と結託して、遺産を横取りしたのだ!」と暗に言っているように読めますが、そもそも、遺言作成に関係した時点で内容を遺族に連絡したのでは、守秘義務違反になってしまいます。また、遺言執行者を受任するのは、相続が発生した時点です。この立場での連絡は、必ず事後になるのです。
 そして、認知症について。
 まず認知症だからといって、遺言ができないということはありません。遺言を作成するときに、その内容を理解できるだけの能力があれば、有効な遺言となります。そもそも認知症というのは、決して人格崩壊を意味してはいません。障害のある部分以外は正常なのです。
 とはいうものの、それが自筆証書遺言であれば、有効性が揺さぶられることにもなるでしょう。しかし本件では公正証書遺言が作られています。
 公正証書遺言というのは、公証人という公職者(ほぼ全員が元法曹)が証人になって作成する遺言です。公証人は、遺言を残したい人と直接面談、口述筆記という形で遺言を作成します(実際には代理人がまとめた文案を持ち込み、公証人が口頭で読み上げて確認をとるという形になります)。このとき、精神科医の鑑定書も参考にした上で意思能力を判断し、遺言の内容を理解する能力がないと判断した場合には、作成を行いません。つまり、公正証書遺言が作られているというのは、精神科医と公証人が揃って「大丈夫!」と判断したということなのです。実際、裁判でも高い証拠能力を持っており、ほとんど覆ることはありません。
 記事には、「そもそもトラブルと表現できる状況にも至っていない」とする、寺院側の弁護士の言葉も紹介されています。こうして読み解いてみると、実際その通りだと言えるでしょう。

 なお、この記事の中で、ぼくが特に苦々しく思うのが、エンタメライター氏です。
 こういう、ことさらに騒ぎを大きくしたがる人間というのはいるものですが、エンタメライターを語るのなら、最低限の著作権法ぐらいは知っておいてほしいものです。言及されている3演目は全て江戸時代に作られた古典落語で、古今亭志ん生の創作ではなく、著作権などありません。録音録画されている上演に実演家としての著作隣接権があったとしても、それとそっくり同じものをCGなり人口音声なりで再現するというのならともかく、視聴して「そういう感じの喋り方」をした他人に対して、元の権利者が独占権を主張できるはずもありません。また、襲名の障害になるというのは、人名に著作権があるとでも言いたいのでしょうか。ぼくより著名な人として税理士の山田真哉さんがいますが、もし名前に著作権があるのなら、よく似た名前のぼくは著作権侵害で差し止められててしまうリスクがあるということですね。


 以上、長くなりましたが、報道された事件に対するぼくなりのコメントでした。遺族の立場に同情する気持ちは否定できないものの、やはり、予防法学的な対策をきちんととっておくべきだったと思います。伝統芸能の世界には、家督概念が残っていますが、民法にそれはありません。ない以上、それを求める人は積極的な対応で実現する必要があるのです。
 また、行政書士という仕事の重さも、あらためて感じました。自分の尊敬する人たちから罵倒され、さらに攻撃力鋭いメジャーなマスコミから悪役扱いされることも、時には覚悟しなければならないということですね。心して、仕事にあたっていきたいと思います。