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企画授業をめぐる悩ましき選択

 授業はどんな内容でやるべきか……ゲーム企画の教員としてのキャリアを重ねる中、次第に大きな悩みになっていった問題でした。
 この問題を単純化すれば、次の2つのオプションになります。

  1.実務経験に根ざした話や同業者から聞いた話、
    そしてそれらを通じて自分が到達した
    セオリーやプリンシパルによって構成される独自の内容
  2.刊行されている本その他公開文書の内容や
    公的機関によってオーソライズされたことに基づいて組み立てた、
    誰がやっても同じになる内容

 バンタン(https://www.vantan-game.com)でそういう仕事を始めたばかり頃は、疑問の余地なく1でした。そもそもゲーム作りを扱った本なんてほとんどありませんでしたし、ゲーム業界も全般に冷淡でした。ただそれ以前に、自分の経験に根ざしてすらいないこと・信じてもいないことを語るのが不道徳なように思え、たとえ誤謬が入り込むかもしれないとしても、自分独自の内容でやることの価値の方が大きいと思ったのです。
 とはいえ、この辺の事情はだんだん変わってきました。ゲーム制作分野の本も次々と出てきて、業界人による発信も増えていったからです。CESAという業界団体が登場し活発に情報発信するようになり、文部科学省も人材開発事業に取り組むようになりました。それでも、学生に対して面と向かって話をする業界人というのはやはり貴重なものといえ、この意味でも1スタイルの重要性が肯定されていたのですが、やがてゲーム会社の多くが求人活動のために学校を訪れるようになるなど、業界人の希少性も下がっていきました。
 今、企画分野だけでも読み切れないほどの本が出ていますし、業界人による発信も、いわゆる「著名人」レベルにまで広がっています。また、元業界人の教員というのも、それほど珍しいものではなくなっています。加えて、何かというと「エビデンス」を唱える、昨今の教育分野の事情もあります。授業で何かを語るには、根拠となる引用元を示す義務があるかのように言われていて、経験やポリシーに根ざした話をしても「それってあなたの感想ですよね、はい論破ー!」なんてやられかねないわけです。

 高校までの授業は、オプション2に基づいています。文部科学省によって決められた学習指導要領があり、またそれに合わせて作られた検定教科書があって、教員にはそこから外れた指導をすることが許されません。こうなると、生徒の間には一つの共通する授業観が出てくるでしょう。言語化すれば、こんなところです――「勉強=教科書に書いてあることを憶えること、そして教員の役割はその憶えるべき内容を解りやすく説くこと」。
 そして高等教育での学びというのは、これに対するアンチテーゼと言えるでしょう。そこで待ち受けている勉強は、教科書暗記とはかけ離れています。何が正解かわからないまま、また場合によっては何が対象なのかも特定されないまま進められたりするわけです。ただ、これこそが、世の中にあるプロブレムの本質です。進学した学生は、これまで自分たちが当然のように思っていた前提が否定されることで、新たな――個人体験としての――学びが始まるからです。冒頭に挙げたオプション1の授業というのは、そこまで徹底したものではないのですが、方向性としては明確にそちらを向いていると言えるでしょう。
 ただ、こういうパラダイム変換に付いてこられない学生というのも、残念ながらいます。こんにちの大学の事情はよくわかりませんが、専門学校の学生においてはむしろデフォルトと言えるでしょう。多くの専攻では資格試験を中心に据えたカリキュラムを展開しているため、どうしたって2タイプになってしまうのです。ゲームやCGの制作には資格はないものの、教科書として使いうる技術書は山ほどあるため、基本的に同じところにはまってしまう危険性とは無縁ではありません。

 今、一つの事実が問題を大きくしてしまっています。学校の多くが、学生による授業評価システムを導入しているということです。
 本来、評価システムには公正性・公平性が不可欠なものですが、ジャッジする側にそれにふさわしい能力があることは、そもそも前提と言えるでしょう。ところが、現実の授業評価は、ただのアンケートとして行われます。その結果、パラダイムシフトができなかった学生が高校までの延長で「勉強」を捉え、その自分の価値観にもとづいて授業を評定することになってしあうのです。せっかく現役実務家である講師がしてくれるオプション1型の授業に対しても「あの先生は自分の話ばっかりする」といった学生評価が下され、運営側はそれをピックアップして改善を要求してしまいます。現役でもそうなってしまうのですから、スーファミ~初代PSの時代がピークだったぼくの言うことなんて、もうジジイの昔語りにしか聞こえないでしょうね。

 この問題意識、結局自分なりの結論を出せないまま、ステージの外に出てしまいました。というのも、既に企画の授業をほとんどやらなくなっているからです。来年度担当する授業は、著作権や金融リテラシー、それにテキストライティングといったあたりで、既に「元ゲーム屋」ではなく「行政書士」というポジションで担当するものになっているのです。まあ、ありがたいことではあるのですけど。