信託という単語自体は、よく目にします。街中には信託銀行という金融機関がありますし、投信こと投資信託も見る機会の多い単語でしょう。
これは、信託法という法律に裏付けられた制度で、自分の財産を他人に運用してもらう、資産管理の手法です。財産を誰かに預けておくと、自分の代わりにその人が運用などをしてくれ、利益は自分または自分の指定した人に渡される……そういうものと考えていただいていいでしょう。
もう少し専門的な言葉で説明します。信託には、3通りの登場人物がいます。預ける人と預かる人、そして収益を受け取る人です。それぞれ、次のような言葉で呼びます。
委託者 自分の財産を運用してもらう人
受託者 委託者の財産を運用する人
受益者 運用益を受け取る人
信託会社が行う場合、委託者が顧客、受託者が会社です。そして受益者は、顧客の指示した人―顧客自身や第三者―となります。会社は顧客の資産を運用し、その運用益を顧客の指定した人に配当するのです。会社ですからもちろん無償ということはなく、管理手数料を受け取って行っています。このようなそれ自体が事業である信託を、商事信託と言います。
これに対し、無償を基本にする非営利の信託が民事信託です《*1》。赤の他人はふつう無償ではやってくれないので、高齢のお父さんの財産を息子さんが管理…というように、たいていは家族が受託者になることから、一般的に家族信託という通称が用いられています。
商事信託は、特に個別に組成するものに関しては、基本的に富裕層のためのスキームです。そのせいで、単に信託と聞いただけで「自分には関係ない」と思ってしまう人が多いでしょう。しかし、民事信託=家族信託は、けっして富裕層限定ではありませんし、そもそも資産運用限定でもありません。認知症対策から相続までをシームレスにカバーする、たいへん優秀なスキームなのです。さらに、事業承継に悩む企業主や、自分の死後が心配な愛犬家までもカバーする、懐の広さも持っています。
*1 原則無償の非営利的な…:「びた一文たりとも受け取ってはならない」ということではなく、事業としての営利性を持ってはいけないという意味です。このテキストが前提にしているようなケースでは、受託者にはかなりの負担がかかりますので、全くの無報酬では、他の家族との間で不公平感も出てしまうでしょう。
家族信託の作り方
信託は、契約として組成します《*2》。財産を持っている人が委託者となり、管理運用する人である受託者との間で、信託契約を結ぶことで成立するのです。なお受益者は契約の中で指名される存在で、契約自体に参加するわけではありません《*3》。
信託契約の内容――どの財産を対象にするのか、いつ始まるのか、本人の死後はどう扱うのか・・・といったことですが、これは自由に決められます。ただ、口頭ではだめで、契約書として作成する必要があります。通常の契約書でも有効ですが、実務的には公正証書《*4》として作成することがほとんどです。
そして実際に開始するためには、信託財産を受託者に移すことが必要です。不動産は信託登記を、自動車や知的財産権など登録制度がある財産は名義変更を行います。また、有価証券や銀行預金の場合、信託口口座という専用の口座を新たに作り、そこに移すことになります。これを信託譲渡といい、これによって財産の権利は委託者から受託者へ移転されます。
名前に「譲渡」の文字がありますが、あくまでも「信託譲渡」であり、別に受託者のものになってしまうわけではありません。また、信託財産は受託者自身の財産とくっきり分けて管理されます。これは法的な保護で、たとえ受託者が破産しても、信託財産が差し押さえられることはありません。なお、信託監督人を選任して、受託者を監督させるということも行われます(必須ではありません)。
ではこれがどのようにして、各種対策となるのでしょうか。
*2 信託は、契約として組成します:信託法では、契約による他、遺言で組成することも認めています。遺言なので死亡まではスタートしませんが、基本的特徴は同じです。いちいち言及していると冗漫になってしまうため、説明は契約によるものだけに絞りました。
*3 受益者…契約に参加するわけではありません:実際には、多くの信託は、委託者自身を受益者として組成されています(こういうものを自益信託と言います)。例えば、所有している賃貸用アパートを信託して運用益を受け取る、といった形です。
*4 公正証書:公証人という特殊な公務員が作る文書で、契約や遺言などで使われます。高い証拠能力を持ち、またこれに基づいて直接に強制執行をかけることができるなど、私文書でありながら公文書に準じた扱いをされます。
認知症対策として
まず、認知症対策としての用途を説明しましょう。
最初の章で述べた通り、認知症を発症すると、銀行は口座を凍結してしまいます。その一方で、民法上の行為能力は保ったままなので、単独で結んだ契約を後から取り消すことはできず、大きな法的リスクにさらされてしまいます。
でも、家族信託を組成していたらどうでしょうか。例えば、高齢のお父さんが委託者兼受益者、息子さんが受託者という形です。この場合、お金を管理しているのは受託者である息子さんですから、例えば生活費が必要になれば息子さんを通じて引き出すことができますし、また所有権はすでに移転させているので、各種業者のしつこい勧誘も回避することができます。病状が悪化すれば、実質的に息子さん自身が当事者となってお父さんの財産を動かすことになりますが、これも全く合法的に行えます。認知症がもたらす大きな問題を、回避できるのです。
もちろん家族信託を組成するためには、意思能力(自分のしている法律行為を理解できる能力)が必要です。とはいえ、認知症は、ゆっくりと進行する病気です。まだ完全に判断能力を喪失する前という段階であれば、家族信託を組成することは可能です。
そして、家族信託は、成年後見の諸問題も解決します。成年後見人とは違い、お互いによく知っている家族が財産管理人です。高額な報酬を必要としないばかりか、融通を利かすこともできますし、財産の積極的な運用も可能です。
特に強調したいのが、「オール・オア・ナッシング」ではないということ。成年後見の場合、一度始まってしまうと、もう元に戻すことは困難です。そして始まった瞬間に、本人は全ての財産について自主決定権を剥奪されてしまいます。自分が欲しいと思ったものを買うことすら、赤の他人である後見人に「必要ない」と判断されればできないのです。
でも家族信託は、こうではありません。スタート時点にしても、「将来自分が認知症を発症したら」という条件付きで行うこともできるのです。また、財産の一部だけを信託財産とすることも、全く問題ありません。まずは一部の財産で始めてみて、問題ないようなら他の財産も信託に移すということも可能なわけです。
相続対策としての使い方
一方、相続対策としての用途ですが、これはずばり「遺言ではできないことができる」につきます。
民法と信託法の大きな違いに、「死後の扱い」があります。民法では、契約関係は当事者の死亡をもって終わります。なので、例えば遺言で「私の死後は財産を妻に相続させ、その妻が亡くなった後は長女に相続させる」といった代をまたいだ指定や、「曾祖父の代で建てられた家屋敷について、壊さずそのまま残してくれるという条件で、長男に相続させる」といった条件指定をしていたとしても、法的な効果はありません。しかし信託法の場合、「委託者の死亡後はこのように扱う」という形で、信託契約を組成することができます。結果として「死んだ後も有効」な契約を組成することができるのです。
ここから、実際に発生しがちな二つの問題に対応することができます。
まず、二次相続の問題です。例えば、高齢の御本人がなくなり、奥さんと息子さんが残されたというような場合、法定分割だと財産の半分は奥さんが相続することになります。ただ、高齢者の配偶者はたいてい同じように高齢者なので、多くの場合、間を置かずその人に関する相続が発生します。これを二次相続と呼びます。相続税も不動産登記の費用も余計にかかることになるのですが、それより深刻なのが、家族間の対立です。兄弟姉妹というのは、親子ほどには「血を分けた肉親」ではなく、多かれ少なかれ“他人度”が出てくるもの。そこで、御本人の存命中に、息子さんの一人を受託者、そしてご自身と奥さんを受益者として、信託契約を組成するのです。こうすることで、二次相続そのものを回避しつつ、目的を達成することができます。また、二次相続時点では配偶者にも認知症リスクが出てきますから、それに対する対策という面でも大きなメリットがあります。
そして、もう一つが、世代をまたいだ承継です。例えば会社のオーナーさんは、「今は娘婿に経営を手伝わせているが、行く行くは、息子の側の孫に継がせたい」なんて思うことがあるかと思います。遺言ではこういう条件の付け方はできませんが、家族信託を使えば可能です。
さらに事業承継の場合、もっと複雑なスキームを組むことが可能です。「わしが元気なうちは自分で経営をするが、認知症になったらその時点で息子に引き継ぎたい」というような場合にも、対応することができるのです。
なお、ここで一つ確認しておきたいことがあります。相続税の問題です。
業者や税理士が「相続対策」という言葉を使った場合、ほとんどの場合は「相続税対策」を意味していますが、そういう意味での相続対策としては、家族信託はそれほど大きな役割を果たせません。家族信託にした場合も、法定相続がされたという前提で税額が計算され、受益権に応じて課税されることになるからです。また、例えば一般社団法人を介して事業を継承させるような信託が組成される場合もあるのですが、これも税務当局から「税金逃れ目的」と解釈されれば、容赦なく追徴課税の対象になってしまいます。
いかに相続税を減らすかというテーマはもちろん重要ですが、今回の話でそこまで含めてしまうと大げさになりすぎるため、これは別の機会に譲ることにします。
現代流「家督を継ぐ」の実現
このように、民法ではカバーしていないことを実現する方法として、信託の活用は有効です。
かつて「家督相続」という制度がありました。社会を構成する最小単位として「家」を想定した上で、そのリーダーシップである「家督」が相続されるという考え方です。そこでは、家屋や土地を中心とした財産ばかりではなく、一人一人の個人もまた家に帰属するものとされていました。そして家督を持つ人=家のリーダーである戸主は、そこに属する家族のふるまいについても、広汎に監督する権利が与えられていました。具体的には、職業選択や居住地さらには結婚に至るまでの同意権です。これらの事柄について戸主の意見に背いた場合、家から追放されることもあったのです。そして財産は家のものですから、追放を受けた個人はもう分与を受けることはできず、相互扶助の関係からも放り出されてしまいます。
このような守旧的制度は、個人の尊厳と法の下の平等という新憲法の理念とは、両立しません。そこで相続法は、憲法の制定にあわせ、1947年に全面的に改正されています。それまでの家制度を、徹底的に否定したのです。
しかし、果たして家督相続というものは「はい、終了!」で消し去ってしまっていいものでしょうか。
例えば、何かの伝統芸能を伝える家の一人息子が結婚したとします。親としては芸能を受け継ぐ次世代の誕生を期待したいところですが、こればかりはわかりません。時が流れ、結局子供のないまま彼が亡くなったとしたら、先祖代々伝えられてきた流派の宝物を相続するのは妻です。そして、その次の代には、妻の兄弟の家系に移ってしまうことになります。私自身は、血筋という視点では馬の骨ですが、それでも必ずしも安心できないと言うことですね。子供のいない叔母が亡くなったら、南北朝時代に作られた能面や装束一式なんてものをごっそり相続する羽目になった――これは途方にくれるしかありません。そして、流派の側から見れば、一門に代々伝わってきたお宝が縁もゆかりもないどこぞの家に流出してしまったということになります。これは誰にとっても不幸です。
法規範というものは、社会規範を前提にしています。社会全体の合意があり、それをカバーする形で法律のルールが作られるということです。もちろん法には「一歩先んじる」ことが許される場合もありますが、完全に遊離した理想論の追求は、国民に不幸をもたらしてしまいます。現実問題として、家制度はこの国の文化として未だ健在です。天皇家や旧大名家などの動静はニュースでも流れますし、現実的には一般庶民の場合でも同様なのです。私自身の血筋は先ほど述べたとおりですが、それでも「本家/分家」の位置づけとは無関係ではなく、冠婚葬祭などの情報センターとしての「本家」のありがたさを感じています。
現在の民法がそれをカバーしてくれないのなら、カバーしてくれる法的スキームを使うしかありません。「先祖代々続く、引き継ぐべきもの」がある家なら、それを守るための仕組みを積極的に利用するべきなのです。家族信託は、それを可能にします。
その他、信託ならではの用途
信託には、ここまで述べてきた以外にも、実に豊かな可能性があります。
例えば、ペットに遺産を残すという用途はどうでしょうか。
民法上、権利の主体になれるのは「人」だけです。犬や猫は「物」として扱われ、権利主体となることはできません。しかし信託を使った場合、財産を渡すための条件を指定できますから、結果的に同じことが実現可能なのです。例えば、「うちの犬を終生世話してくれるという条件で、あなたに信託財産の受益権を自分の死後譲渡する」という形で信託を組成すればいいのです。遺言の場合は付言の中に書くしかなく、法的拘束力を持たせることはできません。山に捨てても動物保護センターに引き渡しても、無効にならないのです。しかし同じことをペット信託で行えば、信託義務違反となり、受託者としての地位を喪失してしまうことになります。現実的には全財産を対象にする必要はありませんから、例えば犬猫の保護活動をしているNPO法人などに財産の一部を信託するという形をとれば、法定相続人のいる場合でも円満に解決できるでしょう。
また、家族のあり方として独自の選択肢を選んでいる人にとっても、活用できるものとなります。こんにち社会は多様化しており、家族の形もそれぞれです。しかし法は全く追いついていず、「戸籍に基づく配偶者等」以外は法定相続人として認められないのです。こんな中、「カップル型信託」として、次のような類型を掲げる事務所もあります。
1.入籍しないカップルのための信託(非入籍婚信託)
2.離婚と再婚を繰り返している人のための信託(再婚信託)
3.離婚後に子を養育している人のための信託(防御型信託)
4.これから結婚する人のための信託(プレナップ信託)
同性カップルは1に含まれます。2が志向しているのは、例えば前婚の子など、関係が切れた相続人の関与を排除したいという意向です。また、4で想定されているのは、双方の実家の財産を配偶者側に渡らないようにしておくというもので、先述の“家督相続”と通じるものがあるでしょう。
他、「お一人様信託」を提唱している事務所もあります。相続人がいなかったり、絶縁していっさい関係を持ちたくないような場合、同じような境遇のお友だちどうしで信託を組成するというものです。「あたしが先に倒れたら死ぬまで面倒見てね、財産あんたにあげるから」をお互いの間で約束する、そういう人間関係を信託という形で担保するというものです。
信託と士業、当事務所の取り組み
以上、家族信託についてお話ししました。非常に役に立つ優秀なスキームであるのにも関わらず、十分に活用されていない傾向があり、時間をかけて説明させていただきました。
さて、信託の組成は、基本的に「信託契約を結ぶ」ということですので、特定の士業にしか認められていないわけではありません。実際、民間資格しか持たない相続コンサルタントも多数活動しています。ただ、士業であれば安心できる点が一つあります。「懲戒」による脅しです。例えば「悪徳!」となじられるような行為をした場合でも、許認可の対象にならない業種の民間企業には特に監督官庁はありませんから、よほどの騒ぎにならない限り、営業の妨げにはなりません。これが士業の場合ですと、所属団体や監督官庁による懲戒というペナルティがあり、仕事ができなくなってしまいます。
また、たくさんある士業の中で、実際に家族信託を担当するのは、弁護士・税理士・司法書士・行政書士といったところになるでしょう。肌感覚としていちばん多いのは司法書士です。登記まで自分でできてしまうのが強みですね。行政書士の場合、ここが担当外になってしまうのが歯がゆいところ。ただ、当然対策はしているわけですが。
さて、問題は「誰に頼むか」でしょう。士業の肩書きは「懲戒あり」を伴うとはいえ、当然ながら、仕事の品質まで担保している訳ではありません。士業ではない相続コンサルタントの中にも経験豊富で良心的な人は多くいるわけで、これと頼りない士業とでどちらを選ぶべきなのかといったら、まあ言うまでもないでしょう。
このとき基準として有効なのは、「どれだけこちらの話を聞いてくれるのか」ではないでしょうか。
士業にありがちなのが、ろくに話も聞かないうちから選択肢を並べ立ててくるタイプ。顧客を当てはめるためのテンプレートを用意して、そこにむりやりはめ込もうとする人です。しかし、経営の神様ドラッカーが言っているように「ドリルを買いに来る顧客のニーズは穴」です。必ずしもドリルが欲しいわけではなく、穴を開けたいだけなのです。「家族信託について教えて欲しい」と言ってこられたお客様でも、実際になさりたいことは問題の解決です。遺言だけで目的が達成できるのならその方がいいですし、商事信託の方がふさわしい方はそうすべきだと思います。また、事態が入り組んでいて一筋縄ではいかないような場合は、司法書士であれ行政書士であれ、多くのマンパワーと集団知を持つ大手事務所の方がふさわしいと言えるでしょうし、相続後の争続が予想される場合は、最初から弁護士に依頼した方がいいでしょう。話を聞かないことには、これもわかりません。
当事務所としての取り組みについてですが、このように熱心に家族信託を説いているのですが、実は「何が何でも家族信託!」と思っているわけではありません。まず解決すべき問題が先にあるわけで、家族信託も選択できる方法の一つとしてご案内するというスタンスです。
実際問題として、費用はどうしてもかかります。リーズナブルを売りにしている当事務所でも、家族信託の組成を前提とした相続対策案件では、コンサルティング業務として、相続財産の1%を基本とする費用設定をしています。これが大手事務所や弁護士法人などであれば当然それよりも高く、2~3%、また最低額の設定も高くなってくるでしょう。これが遺言書だけで済むのなら、実費を含めてもせいぜい数万円程度です。
そのようなわけで、当事務所の方針は「まずヒアリング」です。実際にご相談を持ちかけてくる方は相続人となるご家族の方が多いわけですが、相続の主役はあくまでも「贈る人」です。そのお考えをきちんと聞いた上で、関係する皆様が納得していただけるような答えを探していきます。そしてヒアリング後のご提案では、当方の利害にとらわれることなく、場合によっては他の事業者の紹介までを含む、柔軟な対応をこころがけています。
そのような事情なので、こと信託(さらには相続一般)の案件については、原則「名古屋から行ける範囲まで」とさせていただいております。あしからずご了承ください。