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ネタバレ問題を引き続き

 昔構想したいたずらサイトがあります。その名も「犯人はこいつWEB」。トップページのデザインは、真ん中に入力欄があるだけという、初期Googleのようなシンプルなデザイン。そこにミステリー作品のタイトルを入力して「実行」をかけると、たちまち犯人の名前が表示される、そういうサイトです。結果ページのデザインもまたシンプルを極めたもので、白いページの真ん中にぽつんと人名が載っているだけ、というもの。友人がミステリーを読み始めたら、さっそく調べてあげましょう。そして結果ページのアドレスをコピー、「ここ読んでみ?」ってな感じでメールで送るのです。
 もちろん本当に作る気はなくて、人に話すときのネタとして考えただけに過ぎません。まあ、実際にやろうとしても、挫折するでしょうね。ミステリーを片っ端から読み漁らなければならないわけですから。という訳なので、もし現実にそういうサイトがあっても、ぼくはなんの関係もありませんので、お間違えなく!

 さて、引き続きネタバレサイト関連の話題です。ネタバレそのものは、著作権侵害ではありません。著作権が保護するのは「著作された創作物」で、その表現に込められた思想やアイデアまでもが保護されるわけではないからです。ただ、著作権侵害かどうかということと、道義的にどうなのかということは、実際には別の問題です。先ほどの「犯人はこいつWEB」なんてかなり悪質ですが、内容はと言うと、ただ人名が表示されるだけ。著作権侵害とはとても言えないでしょう。実際に作れば出版業界から何らかのアクションはあると思いますが、損害賠償に繋げられるような法益侵害がどうも思いつきません。いたずらの対象は読者であって著作者ではないからです。また、被害を受けた時点での読者はもう本を手にしているわけですから(もちろん全員が購入済みではなく、図書館で済ませているなんて未購入読者もいるわけですが、彼らだってどのみち買いません)、作品の売上減少を招くわけでもありません。こういう事件に対して、受任した弁護士がどういう賠償の根拠づけをしてくるのか、とても興味があります(確認するために作ってみようとまでは思いませんが)。

 ここで、ひとつ問題にしたいものがあります。ウィキペディアです。
 多数のボランティアによる精力的な執筆で膨大な分野をカバーするウィキペディアは、知的エンターテインメントとしても出色の存在です。ただ、査読がないというシステムゆえに内容は玉石混交で、企業や学校の記事なんて広報部が書いたとしか思えないような宣伝臭プンプンのものばかりですし、間違った情報が堂々と書かれていたりもします。そして、メディアが今狩ろうとしているネタバレサイトに準じたような記事も、たっぷりです。
 でも、ここで問題にしたいのはそれではなく、法的には問いようがないのに極めて悪質な記事の存在です。ぼくが好きな小説に「三体」という作品があるのですが、これに関するウィキペディアの記事が、実に酷いものなのです。
 「三体」は、中国を舞台にしたハードSF作品です。プロローグは文化大革命の時代。騒乱の中、理論物理学の教授が「反革命思想である相対性理論を教えたことを自己批判せよ!」と狂気に満ちた吊し上げを受けるところが描かれます。一つの悲劇とそれに連鎖する悲劇が描かれた後、時代は現代に。国家的な工学者である主人公が、ある説明のつかないような現象にぶつかるところから、実質的に物語が始まっていきます。ハードSFというのは、科学的論理性をきちんと踏まえたSFの呼び名ですが、多くの作品は同時に人間を描く作品でもあり、「三体」にも、様々なキャラクター―共感できる人から憎たらしい野郎まで―が登場、絡み合いながら物語を進めていきます。そして、主人公はいくつもの危機を乗り越えながら謎の核心に近づき、驚くべき真実が明らかになる…という物語展開です。
 で、ウィキペディアの記事です。そこでは、以上で述べたようなストーリーラインや作品世界そしてキャラクターについてはほぼ書かれておらず、物語の最後の方で明かされる謎の核心部分だけを、過剰なまでに丁寧に用語解説の形で書いているのです。ミステリーに例えれば、トリックだけが、解かれた謎の方から遡及スタイルで書かれてるようなものと言えるでしょう。
 記事の中に原典から引用した部分はたぶんなく、その意味で複製権侵害にもなりません。ストーリーラインもなぞっていませんから、翻案権も対象外です。しかし、これほどたちの悪い記事は、なかなかありません。一度でもこの記事を読んでしまったら、「三体」の読書経験によって得られたはずの喜びは、その大半が弾け飛んでしまうからです。
 執筆者はいったいどんな思いでこの記事を書いたのでしょうか。ぼくの「犯人はこいつWEB」なら、作品を後ろの方から拾い読みしても書けなくはないのですが、この記事は頭から最後まできっちりと作品を読まなければ書けるものではありません。「つまらない」「どうでもいい」と思ったのなら、読み進めはしないはず。作品に感銘を受け、面白いとおもったからこそ読み切ることができたのです。こう考えてみると、行動自体というよりも、その人間性の方に疑問を感じざるを得ません。――美しい湿原を求めて登山に挑み、みごと目的を達成、その美を堪能する。そして一息つくとスコップを取り出し、周りの土をかき集めて湿原を埋めてしまい、その後に「ここには次の植物がありました」なんて看板を立てる――例えて言えばこういうことになるわけです。

*こんなわけなので、記事へのリンクは付けていません。内容に興味を持った方は、必ず先に「三体」を読んでから、ウィキペディアを参照してください。なお、ぼくが読んだあとに編集が加わっている可能性もあります。ここでの記述は、2022年6月時点での記事に基づいています。

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