週刊文春――いや、この点では週刊誌全部に共通ですが――を通じて気づかされた点があります。それは、記事の短さです。
ぼくが書いているこのブログですが、まあ相応の分量はあり、基本的に1千字程度を意識して書いています(守れることはまれですが)。それでも、実は書き手的には不満です。不特定の読者を前提にワンテーマしっかり書きたかったら、この数倍は欲しいところなのです。話の前提について一通り触れてから問題提起を行い、諸説をざっと紹介したところで自説を論じる……こんな構成が必要になってくるからです。しかし、現代のWebでは、こでも長すぎる文章とされてしまうでしょう。
この文章自体ネット上に発表しているわけですが、インターネットの初期では、長文が許されていました。パソコン通信の頃は掲示板での情報交換が基本で、まとまった文章は扱いづらかったのですが、インターネットの時代になり、またプロバイダの「おまけ」としてホームページ開設用スペースが提供されるようになって、リミットがなくなったのです。読み手の方もしっかりした分量を歓迎する傾向があり、本気の文章を書くと本気のメールが寄せられたりしたものです。
この背景には、Googleの登場もあります。それ以前に支配的だったYahoo!では、人間のサーチャーがインデックスを作っていたため、まずサーチャーに認めてもらえないことにはピックアップされませんでした。ところがGoogleの登場で、ただ書きさえすれば自動的に見つけてもらえる時代になりました。単に個人のサイトにアップしただけの文章でも、読んでもらえる可能性が高かったのです。ところが、インターネットが本格化することで、また風向きが変わりました。Googleで引っ掛かるためにはSEO対策が必須となり、内容以外のところでの努力が問われるようになりました。そして、まさにSEO対策の要請として、長い文章が忌避されるようにもなったのです。
でも、週刊誌というのは、実はずっと前から記事のコンパクトさを先取りしていたのではないかと思うのです。
今回のシリーズで取り上げた連載コラムの類。どれも気持ちいい短さです。メイン記事の合間を埋めるという役割に最適化されているのでしょう。そしてメイン記事の方も、実際には長すぎず短すぎない適度な尺です。その記事目当てで号を手に取る人がいるような記事が1ページで終わってしまったのでは不満が出てしまいますが、本気のオピニオンまでを求めているわけでもありません。なので、一応満足できる程度の内容にする。本一冊読むこと思えばうんと短く、しかし新聞読んだだけではわからない程度には。
見習うべき文章スタイルのスタンダードが、既にあったわけですね。
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