概ね例年通りの人数(約4万人)が受験し、概ね例年通りの合格率(11%台)という結果でした。でも、その数値の裏側にはダイナミックなドラマがあることを、忘れてはいけませんね。この4万人の中に冷やかしの受験者はほとんどいないのです。受かるつもりで堂々と臨む人もいれば、期待さらには祈りを込めながら当日を迎える人と、濃度はさまざま。こういう人たちの中での約1割だけが、実際に合格できているわけです。
とはいうものの、努力の度合いは人それぞれ。客観的に見てふさわしかったかどうかと言うと、また別論です。
実は私自身も、二度失敗を味わっています。一度目は準備らしい準備もしないまま受け、不合格。それでも自分は受かるつもりでいたものですから、ふてくされて放り出してしまいました。二度目はそれから数年後で、今度は以前の取り組み姿勢を真摯に反省、(自分基準で)ちゃんと勉強して臨みました。真摯な反省の結果として10%程度というシビアな合格率も知っていましたが、それでも自分は受かるつもりでいました。受験会場では、こんなことを思っていましたよ……「そういや、あんたらの中の9割近くは不合格なんだ。お気の毒にな」。
ただ、そんな痛い経験を踏まえて手にした合格は、“俺様君”のままで手にした(かもしれない)合格よりも、格段に価値があったと思うのです。
「試験に合格することはほんの入り口に過ぎない」と、どんな分野でもよく言われています。この言葉には、「試験と実務は違う」というニュアンスが込められているのが通常でしょう。でも、私はそれだけの問題ではないと思います。単に教科書ベースの知識型勉強という視点で見ても、やはりほんの入り口だと思うのです。
そもそも法律の知識というのは、「確実に解っている」が求められます。「半分ぐらいはわかる」なんてのは、「全く知らない」よりもたちが悪いのです。
行政書士試験は、他の士業の試験と比べると、かなり慎重さに欠けるシステムで運用されています。「択一式」「論文式」といった段階制になっている訳ではなく、また実技に類する科目ががある訳でもなく、制限時間3時間で全ての問いを答える一発試験です。合否は、2割程度の一般科目を含めた合計点で判断、法律科目もグロスで(=科目別の合否判定はなし)半数以上得点できれば可という扱いです。
このようなシステムを反映、主要な法律ですらオルタナティブなものでしかないのが、受験界の実情。「民法は苦手だから行政法でカバーする」方針の人もいますし、「商法は捨てろ」なんて公言しているプロ指導者さえ存在しています。
結局、「かつかつ合格」なんて水準では、引き続き膨大な量の勉強をしなければならないのです。
さて、自分の話に戻るのですが、二度の失敗を通じて身についたことがあります。「勉強する癖」です。それまで、どうしても「嫌だけど我慢してやる」っぽいところがあったのですが、これが解消されたのですね。まもなく改正民法が施行されるため、受験当時とはガラッと変わるルールを頭に入れなければならなくなっていますが、そのための勉強も、全く苦になりません。また、契約書の類を見たときもそうで、ネットで「承諾する」をクリックする前に“読め”と言われる文章も、喜んで読みに行くようになりました。
振り返ってみると、かつての私はフィロソフィーの次元で大きな問題を抱えていました。ずばり「やり過ぎ」を恐れていたのですね。行政書士試験合格に必要な勉強量というものを見積もった上で、それ以上の勉強を避けていたということです。実際、二度も不合格の憂き目を見たのはこの見積り自体が甘すぎたからなのですが、そもそもこういう発想自体が良くなかったのです。
もちろん、時間は誰にとっても有限ですから、無視していいことではありません。単にジャンプするだけの課題なら、バク転の練習をする必要はないでしょう。ただ、仕事の内容に真剣に思い至っていれば、こんな発想自体しなかったと思うのです。行政書士の扱う法律が弁護士用の法律と別に存在する、というわけではありません。ならば、弁護士並みに知っていなければならないはずです。このことに気づいていれば、「やり過ぎると損」なんて発想自体、出てこなかったでしょう。
というわけで、今回ギリギリ水準で落ちてしまった人は、次回はうんと上乗せした高得点での合格を目指せばいいのです。かつかつ合格の人と実質的な違いはなく、どのみち知っておくべき知識の水準には届いていないわけですから。
2020年2月公開
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