この版権という言葉ですが、現行の著作権法を見ても、どこにもありません(よく似た言葉として『出版権』はありますが、全然別の概念です)。つまり俗称みたいなものですが、うんと昔に遡れば、ちゃんとした法律用語でした。明治初期に制定された「出版条例」の中で定められたのです。その後「版権条例」として独立、この法律が出版物以外にも拡張される形で「著作権法」となったのが、明治末期です。つまり著作権のことを「版権」というのは、JRを“国鉄”と呼ぶような、由緒正しい呼び方なのです。
なぜ“版”権なのかというと、話は江戸時代に遡ります。
『八犬伝』だの『東海道五十三次』だのに見られるように、江戸の民衆は商業印刷物をエンターテインメントとして楽しむ、世界的に見ても先進的な市民生活を送っていました。これら読本や浮世絵を出版していたのが、蔦屋重三郎などの、いわゆる「版元」です。当時の印刷技術はもっぱら木版に依存していて、彫師が原盤を制作し、摺師が量産を行うという工程で行われていました。版元は、これらを手配し、作家・画家から受け取った原稿を量産体制に乗せていたのです。版木は、物理的には単なる木の板ですが、それが作られるためには多額のコストがかかっています。そのため「版木を持っている物が、自由にそれを使って刷ってもいい」という形で慣習化されていたのです。
この時代、著作に関する財産権は、版木の所有権という形で存在していたと言うことができます。しかし創作物は、本質的に無体物です。そこで、この版木に仮託された権利を「版権」として抽象化、所有権とは別の財産権として制度化したのです。
この無形の権利としての版権ですが、制度化の裏にはあの有名人がいます。福沢諭吉です。
福沢は、西洋諸国に存在した「Copyright」を引き合いに出し、「日本が文明国として列強と肩を並べるためには、これを保護しなければならん」と政府筋に働きかけを行いました。その結果作られたのが、先述の出版条例です。版権という言葉も、福沢の考案です。Copyrightをそのまま直訳すれば「複製権」になったところですが、ここにあえて従来の社会慣習との連続性を意識した言葉を持ってきたところに、センスを感じます。
福沢と来れば「学問のすゝめ」ですが、よく引用される割にはあまり読まれていない本です。私自身も実はずっと読んだことがなくて、40代の時に初めて読みました。
意外だったのが、前書き。「この本は大変よく売れているが、それ以上に無断で複製している本が多数出回っていて、実にけしからん。これでは文明国にはなれぬ!」みたいな愚痴が、書き連ねられているのですね。私たちは、文化人=浮世離れした無欲な人というイメージをつい持ってしまいがちですが、考えてみれば福沢は「実学」を標榜して慶応義塾を作った人です。著作物の対価を気にするのも、当然と言えば当然です。
さて、この版権という言葉なのですが、歴史的にはともかく、今日的には新たな意味で再定義できるのではないかと思っています。というのも、「版権もの」が意味する版権の言葉は、著作権とイコールで置き換えられるものではないからです。
商業コンテンツは、著作権だけで構成されているわけではありません。例えば「ディズニー」といったとき、人々が思うのは何でしょうか。企業としてのウォルト・ディズニー・カンパニーと概ね重なるのですが、ぴったりではありません。ミッキーやドナルドによって作られる世界を総合的に捉えたもの、というのがいちばん現実に合った説明でしょう。もちろんそこには法的な権利も存在します。商業コンテンツにはしばしば商標権が設定されていますし、場合によっては意匠権の対象にもなります。それら物権的な権利が主張できない場合でも、不正競争防止法によってカバーされています。しかし、先に実体があり、その一部が法的にも保護されているもので、逆ではありません。MCUだって法的にはディズニーのものですが、ディズニーランドをサノスが歩いていたのでは興ざめです。
版権=著作権としてしまうと、このあたりの意味が見えてきません。著作権は具体的な財産権で、ファンが勝手に行う二次創作というのは、どうしたって「侵害行為」になってしまうのです。この軸で用語を捉えてしまうと、「版権もの」=「版権無視もの」とされてしまうでしょう。しかし、オリジナルの持つ作品世界の総称として「版権」の言葉を使うとすれば、現在の使われ方をうまく言い表していると言えるのではないでしょうか。
2020年3月公開
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