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“善意ポルノ”と読み聞かせ動画【再録】

 「ここ1・2週間が山なんだ!」と言われながら始まった自粛運動も、はや数週間が経過しました。私たちはかなり頂上の広い山に上ってしまったようで、いつ下山できるのか見当も付きません。私は教員業もしているのですが、史上最長の春休みが、少なくとも5月いっぱいは続くことになってしまいました。
 このような社会情勢では、人々の善意というのが、ことのほかだいじです。営業自粛中の飲食店がお弁当を医療機関に無料で届けたり、ミュージシャンが自分の演奏をネットで公開したり、テレビを見ていると、そんな善意あふれる話題が次々と登場しています。海外からは、美術館や図書館が収蔵品を無償でネット公開するとか、病院の前に集まって応援の気持ちを込めて歌を歌うといった話題も入ってきています。
 こんな流れの中で、今注目されているものがあります。絵本の読み聞かせ動画です。

  「小さなお子さんを抱えた忙しいお母さんへ。
   この動画を、読み聞かせに使ってくださいね!」

 なんて作成され公開されているムービー。元々は海外セレブが始めたらしいのですが、日本でも有名な俳優や声優が続々と名乗りを上げ、また出版社の中にもコンテンツを公開するところが出てきました。
 プロによる活動が美談として伝えられているのと同時に、市民のほぼ同じ活動が問題視されていることはご存じでしょうか。
 Googleニュースで「絵本 読み聞かせ」を検索してみると、数多くの美談に混じって(しかしながら決して少なくない数の)警鐘記事がヒットします。書き方や温度には個別差があるものの、YouTube上にアップロードされた朗読動画について「目に余る」「看過できない」という文脈で取り上げ、業界側の困惑を紹介した上で、弁護士による「それがどのように著作権法上の権利侵害になっているのか」の解説を引用する、まあそんな基本フォーマットと言えるでしょう。

 私も著作権の専門職として啓蒙の輪に加わるべきなのかもしれませんが、識者たちと同じことを繰り返しても仕方ありませんね。実際のところ、この行為が著作権法上何の問題もないとは、アップしている人たちも思っていないでしょう。ただ、同時にこうも思っているのではないでしょうか……「今ならばこれもOKのはずだよね」
 ひとつには、「時代の風」です。
 何しろ有名人や業界がこぞってやっているわけで、同種の活動が許されるという“風”を感じ取ったとしても不思議はありません。また、4月の終わり頃から、オンライン授業目的での著作物利用が解禁になったというニュースが繰り返し報道されました。法的には、例外扱いがピンポイントで追加指定されただけなのですが、人はこういうとき「一事が万事」で“類推解釈”します――「学校教育なら自由に使用できるんでしょ? おちびさん相手の読み聞かせだって教育みたいなものだから、OKよね!」
 そしてもう一つが、リーガルとイリーガルがぱっと見区別つきにくいということ。例えばYouTubeでは、歌を歌うのはOKになっています。となれば「あのJASRACですら認めてるんだもの、絵本がダメなはずなんてないよ」と考えるのは、自然な感覚といえるでしょう。実際には、JASRACは包括契約でYouTubeから受け取っていて、個々のユーザーからいちいち取り立てないというだけの話なのですが、一般ユーザーにはそこまで見えません。プロの活動がそれと同様の許諾下で行われている(または許諾を必要としない作品を利用)ことも、コンテンツやその紹介記事からはわからない場合が大半なのです。
 これらの背景に流れているのが「善意」です。「善意でやっていることは尊重されるべきである」という価値観がまずあり、その具体化として「だからここまでは許される」があるのですが、その“ここ”が、法律とは別の原理で決められてしまうということなのです。

 善意それ自体の価値は否定しようもないのですが、マスコミというフィルターを通して見えてくるのは、どうも「善意ポルノ」の様相を呈しているようにも思えます。ニュースで紹介される善意の中にはどう見ても企業のPR活動でしかないものもありますし、かなり独りよがりな善意も見られます(少なくとも、病院の前に群がって合唱するのは迷惑行為だと、私は思います)。
 善意ポルノがなぜ悪いのか。まず指摘できるのが、ポルノの本質とも言える「エスカレート」。ある種の刺激が「ふつう」になってしまえば、より強烈で直截的な刺激が求められるになるのがポルノのポルノたるゆえんで、“善意”においてそれが出てきてしまいます。
 例えば朗読だけなら、著作権切れの作品も多くありますし、戦前に発行された絵本であれば、多くが画像も自由に使えるでしょう。でも、そこで留まれるものでしょうか。
 「やっぱり絵もほしい。朗読だけだと、子供の食いつきがいまいち」
 「どうせなら、人気のあの作品が見たい!」

 こんな要望があれば、それに応えることは善意でしょう。今問題になっているものも、そうしたエスカレートの結果なのではないでしょうか。そして、これで終わりとは限りません。
 「読み聞かせ動画もいいけど、
  紙の本をめくるドキドキ感もほしいよね」

 こんな声にお応えして、スキャン&PDFにしてアップロード……なんてことも、空想とは言い切れません。実際、違法なアップロードの動機というのは、必ずしも金目当てというわけではないのです。今みたいなアフィリエイト収入が得られるようになる前からソフトウェアや音楽などでは摘発事例が多いのですが、一番の動機はコミュニティへの貢献でした。「ケケケ、馬鹿どもはどんどんアップロードすりゃいいんだよ、俺様はタダで使い放題さ!」なんてうそぶいてる人間しかいない社会なら、そもそも誰もアップロードしませんね。「いつもコピーさせてもらってるから、お返ししなきゃ」という、確実に善意を持つ人間が少なからずいたからこそ、コンテンツの違法アップロードは増えていったわけです。

 そして善意ポルノのもう一つの問題は、背景にある深い問題が見えなくなるということです。
 例えば、こんな問題がありました。自治体図書館が具体的な小説のタイトルを掲げ、「この本のご要望がとても多いのですが、購入する予算がありません。買って読み終わったという方は、ぜひとも図書館に寄付してください」と、住民に本の寄贈をお願いしているというものです。詳しくは、『ハフィントンポスト』の次の記事を参照してください。なお、記事が書かれたのは過去でも、問題は続いていると思います。
  ハフィントンポスト「『人気図書寄贈のお願い』は是か非か? 公共図書館にベストセラー作家が苦言」2013年12月21日付
 ここで前提になっているのは、コミュニティ的な善意です。でも、そもそも娯楽のための読書なら身銭を切って本を買うべきで、それをせずに「ただで読ませろ!」と要求してくる市民の声を、なぜ行政がいちいち聞かなければいけないのか(さらに言えば、実質的に無料貸本屋になっている今の地域図書館を税金で運営する意義があるのか)、そういう先行すべき議論が、この“善意”のせいでかき消されてしまうわけです。
 そしてより重要なのが、コミュニティの外への影響です。日本中の図書館がいっせいにこれをやると、作家の生活は破綻します。作家にとって作品は商品です。「うちの市が買おうが買うまいが、全体への影響なんて微々たるものさ」という論理は、まさにコンテンツの違法アップロード者と全く同じ構造の論理で、出版文化の主要プレイヤーたる公共図書館がとっていい態度ではありません。
 また、現役の作家を通じて保護される存在もあります。未来の作家=絵本作家になりたいと思う人です。彼らの存在がこの文化を支えていることも重要です。そして若者が将来を託すためには、金銭的にも夢が見られる必要があるのです。
 もちろん、サイン会で「やあ坊やたち、ぼくの生活を支えてくれてありがとう」なんて作家が言ったら幻滅ですし、まあ勝手な願望ですけど、絵本作家という人は、ハードボイルド作家よりはまっとうな人間でいて欲しいとも思うわけですね。だから、強欲な人よりは無欲な人を、深い考えもなしに想定してしまいがちです。そして「この人だったらきっと笑って許してくれるさ」なんて、わけもなく思ってしまいます。絵本作家も客商売ですから、この幻想からそうそう踏み外すわけにはいきません。とはいうものの、札束を手にできる夢というのも、創作者にはまた重要なのです(ちなみに『ぐりとぐら』がシリーズ累計2600万部。絵本といえども、当たればでかいのです!)。さりとて、“目を輝かせて読んでる子供たちの顔”というのも報償でないわけではなく、この辺簡単には割り切れないところがあります。
 ところが、善意ポルノはそういう細やかな部分に気づくことなく、単一のわかりやすいスローガンで押しつぶしてきます。
  「あなたはそんなに金がほしいのか!
   子供たちが喜んでくれる方が大切だとは思わないのか!」
 さらには、こんなことを言ってくるかもしれません。
  「この非常時にいちいち著作権を問題にするとは非国民である!」
 絵本業界を本当に悩ませているのは、これでしょう。権利を主張することによって悪者扱いされてしまう例は、JASRACに限った話ではありません。
 さて、違法になってしまうというのは、無許諾で制作&アップロードしてしまうからで、あらかじめ作者の許諾をとれば問題はありません。SNSの時代、作者に直接コンタクトをとること自体は昔ほど難しいことではないのです。とはいうものの、現状ではどうしても出版社ベースで進んでしまいがちにも思えます。しかし守るべきは作家の権利ですから、このままではいい状態とは言えません。
 やはり、絵本作家のための権利者団体が作られるべきなのでしょう。作家自身が表明すれば嫌われ者になりかねないようなことを、作家に変わって主張する機関です。実際、JASRACというのは、そういうところです。音楽教室から使用料をとる件についても、他ならぬミュージシャン自身から批判的に言及されていたりするわけですが、そうやって夢を売る側の立場を守りながら同時に経済的権利も守っていくことがJASRACの使命であり、こうした泥を被る人がいるからこそ、音楽産業のサプライサイダーは維持されるのです。
 というわけで、専門職としてはそういう役割を果たしていく覚悟が必要といるのでしょう。とはいえ、行政書士は代理人になれないので、今の私にはまだできない仕事なのですが。

2020年5月公開

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