高齢者をどう保護するか、これは社会にとって喫緊の問題です。
資本主義は、常に顧客を必要とします。高齢者が増えている以上、主なターゲットがそこにシフトされていくのは当然でしょう。そして、営業活動というのが基本的にプッシュ型で行われるのも、世のならいです。「この商品を買いたい人、ご来店ください」なんて看板だけ出していても仕事は来ません。まともな営業マンは、顧客候補のもとに足繁く通うものなのです。
そのようなあり方の結果として、「気がついたら何だかわからん商品を売りつけられていた」といったことも、しばしば出現します。そして社会からは「高齢者を強欲な業者から守れ!」なんて声が上がることにもなります。しかし、高齢者だからといって、何が何でも保護すべしというのは、逆に保護される側の権利の侵害にもなってしまいます。自分自身の財産を自分の判断で使っていくことは、本来権利なのです。
高齢者の保護ということが言われだしたのは、今から20年ほど前の、小泉政権の頃です。法律あるいは企業の取り組みとして、様々な仕組みが導入されました。ただ、決してうまく行っているとは言えないのが実情です。さらに、ひとつひとつが抱える問題が響き合い、悪夢のようなハーモニーとなってしまっています。
まずは何が問題なのかを、知る必要があるでしょう。
民法が定める「能力」
民法は、「自分のことは自分で決めていい」というルールを基本にしています。アイドル命でライブに通ってグッズ買い漁ったり、借金してまで高級ブランド品を買い集めたりと、世間にはあまり賢明とは思えない消費行動をとっている人が多数いますが、それも本人の自由なのです。もちろん自由の代償として「結果に対して責任を取る」ということがあり、これができないようでは自由も認められません。
この前提になるのが、能力です。
例えば幼稚園児が「ろれっくしゅ、くださーい!」なんてやってきたとしても、時計屋は相手にしないでしょう。その行動のもたらす意味が、幼児にはよくわかっていないからです。逆に言えば、大人の場合は、自分がしていることの意味を理解できる能力というものが想定されているということになります。これを民法では「意思能力」と言います。
法的には、意思能力がない人が行った法律行為(契約など、法律効果を生じる行為)は、無効と定められています。契約自体が最初からなかったものとして扱われ、また本人の側が事後的に追認することもできないのです。幼児を例にとりましたが、その基準は概ね10歳程度の知能とされています。精神の病気・障害を持つ人の他、酔っぱらいなど一時的にその状態に陥っている人も、意思能力がない人です。
一方、こういう本当の意味での能力とは別に、法律用語としての「能力」もあります。こちらを一言で言えば、参加資格。まず、権利の主体という意味での参加資格として「権利能力」というものがあります。例えば所有権など、財産権の主体になるためには、権利能力を持っていなければなりません。
これに対し、法律行為を単独でしてもいいという意味での参加資格もあり、これを「行為能力」といいます。行為能力がない人の行った法律行為は、取り消し可。この場合の契約は、一度は有効に成立していても、後からなかったことにできる(されてしまう場合がある)ということです。
これら3つの「能力」ですが、意思能力は実際の“できる力”の有無が問題になるため、その人ごとに個別に判定されることになります。一方、他の2つは社会の取り決めですから、ざっくりと決められています。権利能力は、生きている人間なら誰でも《*1》。そして行為能力は、成人に。つまり18歳以上であれば、誰でも行為能力者です。
*1 生きている人間なら誰でも:生まれる前の人間には、権利能力はありません。ただ、相続と損害賠償請求のときだけは例外的に「生まれたもの」と扱われます。それ以外に権利能力の主体になるのは、法人です。一定要件を満たした団体には法人格がみとめられ、その団体名義で財産を持つことができます。会社が代表的で、それ以外にも個別の法律でさまざまな法人が認められています。
行為能力が制限される人
人は社会というゲームにプレイヤーとして参加しています。未成年者もまたプレイヤーなので、その参加資格は、否定するのではなく、一定の範囲で認める必要があります。そこで法は「法定代理人(通常は親)の保護下に置く」という形で、行為能力を制限しています。その結果、親の同意のもとでならロレックスも購入できますし、例えばコンビニでジュース買うような小さな金額の取引であれば単独で可能です。この未成年者の状態を「制限行為能力」と呼びます。
さて、このような行為能力の制限ですが、現実には成人でも必要な場合があります。そこで、精神上の障害により判断能力が不足している人を制限行為能力者として認定、その行為能力を制限するという仕組みが設けられています。保護者を介在させることで、財産を守ろうとするわけです。これには、3段階の種別があります。重い方から順に成年被後見人、被保佐人、被補助人と言います。そしてそれぞれの保護者が、成年後見人・保佐人・補助人で、全体的に「成年後見制度」と呼ばれています《*2》。
もう少し細かく説明しましょう。
成年被後見人に該当するのは「事理弁識能力を欠く常況にある者」です。つまり、フルタイムで判断能力を喪失している状態が該当します。これに対し、一段階軽い被保佐人は「著しく不十分な者」で、いちばん軽い被補助人の場合だと「不十分な者」となっています。俗な言葉で言い換えれば、被保佐人はまだらボケ、被補助人はボケ気味というところでしょう。
では、保護者はどのように介在するのでしょうか。成年後見人は、本人が行った法律行為に対して、広範に取消権と追認権を持ちます。これにより「おじいちゃんがおかしな契約を結んで来た」ような場合に備えるわけです。また、財産権全般についても代理権を持ちます。これらを通じて、未成年者の親がそうするような、全面的な保護を行うのです。
これが保佐人の場合ですと、取消権・追認権の対象は、法で指定された法律行為に限定されます(といっても、たいていの重要なことは含まれているのですが)。また、それらの行為について同意権=あらかじめ特定の行為について同意しておく権利《*3》も持つことになります。その一方で、家庭裁判所が特に認めた場合を除き、代理権はありません。そして補助人の場合、デフォルトで与えられている権限はなく、代理権も同意権も取消・追認権も、家庭裁判所が認めた場合にのみ付与されます(どれ一つ認められないということはありませんが)。
さて、ここが重要なのですが、これらは自動的に認定されるわけではありません。本人や家族などから家庭裁判所に申し立てて、審理を経て認められなければならないのです。また、保護者は、家庭裁判所によって選任されます。「できればこの人にやってほしい」と希望を出すことはできますが、認めるかどうかは裁判所の判断です。かつては家族が選任されることが多かったのですが、現在では弁護士や司法書士など、プロの法律家が中心となっています《*4》。
なお、特定の人を保護者にしたい場合、任意後見人という制度があります。これは、意思能力を喪失する前に、あらかじめ契約を結んでおくことで、意思能力喪失後にその人に成年後見人になってもらうというものです。この場合、実際の受任にあたっては、別途後見監督人が家庭裁判所によって選任されることになります。
*2 成年後見制度:現在の制度になる前は、禁治産という制度で財産保護を図っていました。成年被後見人に該当する人が禁治産者、被保佐人に相当する人が準禁治産者。そして両方合わせて行為無能力者と呼んでいました。ひどい命名センスもあったものですね。
なお、セミナーの方向性から、本文ではほぼ認知症の人だけを前提に書いていますが、実際には知的障害者も対象になります。この場合、しばしば未成年者でも「成年被後見人」になります。*3 同意…しておく権利:同意と追認の違いは、事前か事後かということです。「売りに出てた駅前のマンション買いたいんだけど、契約してきていい?」「ああ、いいよ。同意書書いてやるから、持って行きな」なんてやりとりで、イメージできるでしょう。いちばん重い成年被後見人の場合だと、もらった同意の意味が買いに行く途中でわからなくなるようなことも想定されるため、同意の対象外となっているのです。
*4 プロの法律家:実際には行政書士も成年後見人をしていますが、基本的に任意後見人を経てのもので、裁判所からの任命ではありませんでした。しかし近年、所轄の官庁から公式見解が出て、行政書士もここに含まれることになりました。今後は裁判所から任命される事例も増えていくものと思われます。
なにが問題なのか
以上のような民法の決め事を踏まえた上で、認知症患者という立場を考えてみましょう。認知症もまた精神上の病気なので、その度合いが強ければ、意思能力なしという状態になります。ただ、じわじわと進行していく病気ですから、最初からそうなっているわけではありません。成年後見制度による保護が入るまでの間は、意思能力を喪失していない限り、行為能力者です。
この状態で、なにかの契約を交わしてしまったら、どうでしょうか。詐欺や悪徳商法は許されるものではありませんが、高齢者のもとを訪れるのはそういった連中ばかりではありません。保険・投資・不動産など、合法的な―しかし合理性を欠く商品を扱う場合のある様々な業者が、足繁く通って来ます。彼らも仕事を取らないことには収入がありませんから、非合法にならない限り、どんな手でも使います。その結果、90代のお年寄りが、営業君の泣き落としに負けて高額の生命保険に加入してしまったり、相続対策だと言われてリスク性のある金融商品を購入してしまったりなんてことだってあります。この場合、その契約を取り消せる方法は、残念ながらありません。
一方で、保護が過剰な側面もあります。銀行や証券会社は、認知症の顧客に対して、口座の凍結を行います。もちろん、認知症になった事実を医師や官公庁が金融機関に通知するなんてことはないのですが、窓口でおかしな振る舞いをするとか、ATMで限度額いっぱいの額を連日引き出したりなどがあった場合に、会社自身の判断で口座を凍結するのです《*5》。法的には、こんな措置をとる義務はありません。ただ、金融機関には、社会的責任というものがあります。この口座凍結という措置も、「判断能力の鈍ったお年寄りを悪党どもから守れ!」という社会的要請に対する直接的な回答にほかなりません。
これは預金者の保護という点では効果があるのですが、本人や家族の生活に重要な問題を引き起こします。現代人はそんなに現金を持っていず、お金の大半は、銀行預金という形で保有しています。それが止められてしまったのでは、日常の買い物すらできなくなってしまうのです。本人ですらおろせない預金ですから、家族が行っても無駄。「俺、息子だから!」と泣きついても、とりあってもらえません。必要なお金は家族が立て替えるしかないのですが、生計を一にする老夫婦など、立て替える家族すらいない場合も現実には存在します。
法の保護不足と社会の過剰保護、この両者を同時に解決するものとして想定されているのは、先ほど説明した成年後見制度です。口座凍結への対応として銀行が要求してくるのもこれで、預金を引き出したかったら、成年後見人などの法的保護者を通じて行うように言われます。
ところが、困った問題があります。鳴り物入りで始まった成年後見制度ですが、ものすごく使い勝手が悪いのです。
*5 会社自身の判断で:これらの他、不安に思った家族が、認知症のことを相談してきた結果、口座凍結となってしまう場合もあります。家族からすれば、とんだ藪蛇ですね。
成年後見の問題点
成年後見制度には、様々な問題があります。
まず、期間。家庭裁判所に申し立てて認められるまで、2・3ヶ月程度―長ければ半年もの期間がかかります。銀行口座はこの間も凍結されたままなので、必要なお金は誰かが建て替えなければなりません。生活費だって、長く続けば大きな負担になりますし、例えば保有するアパートの修繕が緊急に必要になるなど、大きな金額になる場合もあります。
次に、費用。成年後見の申立て費用は些少ですが《*6》、医師の鑑定が必要になった場合、別途10万円の鑑定料がかかります。そして、いざ始まると、後見人への報酬が発生します。
裁判所は、後見開始にあたり、後見人を選任します。先述のように、今日では原則として弁護士や司法書士などのプロが選ばれています。報酬額は管理する財産(流動資産分)によって異なるのですが、2~6万円/月。亡くなるまでに10年かかったとしたら、240~720万という結構な金額が被後見人の財産から支出されることになるのです。
そして、そのように選任された成年後見人自体の仕事自体が、問題となります。その内容は、一般人の期待を大きく裏切るものです。何しろ月数万円のサブスクですから、相応のサービスを期待してしまうでしょう。また、法が定める成年後見人の義務には「その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない」なんて項目もあり、こうなると、現場に赴いて本人の様子を見るとか、さらには入っている施設で問題が起きていないか調べる(&起きていたらふさわしい対応)程度のことは期待したくなりますよね。しかし、通常そういうことはいっさいしません。本人口座を掌握し、家族からの請求があった場合にそれを審査して本人口座から家族口座に払い込むという、基本的に事務所の中で完結する仕事だけです。結局、実際に本人の面倒を見るのは、家族なのです。
そして、成年後見人は、融通が効きません。生活のために必要な支出は家族が立て替えるわけですが、どんな小さな金額でも領収書の提出が必須で、それが認められなかった場合お金は出ません。その基準は杓子定規。「本人ができるだけ歩きたいと言うので、歩行器を購入したい」と申し出たところ、「歩行能力はもう戻らないから無駄な出費だ」と断られた、なんて話もあるぐらいです。また、株や土地の売却など、財産の積極的な運用にも応じてくれません。
そんな成年後見人ですが、解任できるのは、裁判所だけです。家族としては、どんなに不満でも解任することができないのです。「こちらの話を何も聞こうとしない」「一方的に『できません』と言ってくるだけで、理由も教えてくれない」「態度が投げやりで、まともに取り組んでいるように思えない」「施設を代えたいと言ったら、猛烈な剣幕で怒鳴り散らされた」――サービス業一般において当然主張できるこうしたクレームも、裁判所は聞く耳を持ちません。成年後見人の解任は、職務違反行為や職務懈怠などがあった場合に限られるからです。
と、ここまで、家族の視点から語りました。では、成年後見人を引き受ける弁護士にとってはどうなのでしょうか。実は、必要な事務量は決して少ないものではなく、「領収書チェックするだけで年間ン十万、ヒャッハー!」なんて仕事ではありません《*7》。また融通が効かないのは制度の要求なので、後見人の一存で動かしていいものではありません。そもそもこの報酬額は、弁護士という職業カテゴリーの費用感で言うと「はした金」です。仕事として成立させるためには数をこなさなければならず、家族からの個々の相談になどとりあってはいられませんし、いちいち現場に行くこともできないのです。
制度ができてから22年となりますが、当初目的が達成できないばかりか、当初からあった違和感も決して収まることがなく、むしろ増幅し続けた年月でした。現在では、関係者の誰をも不幸にする制度とすら、言っていいでしょう。
*6 成年後見の申立て費用は些少:これは裁判所に払う費用の話です。申立てを弁護士などに依頼すると、たんまりと請求されます。
*7 領収書チェックするだけで…:成年後見制度に批判的な本の中には、そういう指摘をしているものもあります。また、酷い後見人の事例も、もっと強烈なものがふんだんに載っていたりします。このあたりは、私としては否定も肯定もできません。まあ、しばしば報道される横領事件をやらかしたプロ後見人が「業務そのものは誠実」だったとは考えにくいため、皆無ではないと思いますが。
結びに
「団塊の世代」と呼ばれる年代があります。その数、およそ800万人。長い間人口ピラミッドのいちばん太いところに君臨していた彼らも既に現役を離れていますが、2025年には全員が後期高齢者となります。この結果、これまでは「急速に」など速度の問題として語られていた高齢化社会が、ここからは量の問題として突きつけられることになります。
このことは2025年問題と呼ばれています。2,200万人の高齢者人口、140兆円の社会保障給付費、そして320万人の認知症患者。この圧倒的なまでの数が、医療や介護などの分野はもとより、社会全体にまで押し寄せてくるのです。
その日がやってくることは、逃れようがありません。私たちとしては、とりあえず自分自身が大波に飲み込まれないよう、努力していくべきです。漫然とXデイを待つのではなく、今やれることを積極的に進めておきましょう。