7.3.2 相続のABC

 法律用語は、厄介です。そしてときに、読み手に誤解を与えます。
 人が亡くなったとき、その財産は他の人に引き継がれるわけですが、このときの呼び方は、亡くなった御本人が「被相続人」で、その財産を受け取る人が「相続人」となります。用語が、もらう側の視点なんですね。そのせいか、相続というものを、もっぱら受け取る側の立場から考える論者が少なくありません。
 しかし、これは違います。最優先されるのは、本人の意志です。「自分の財産は自分の意志でどうにでもできる」というのが、民法の大原則。それが生涯の最後に発揮されるのが、遺産の行き先なのです。
 また民法では、親族の中の一定範囲までを法定相続人と決め、遺言がなかった場合に誰にどの比率で分割されるのかまでを規定しています。この分割比率が法定分割で、全体として法定相続と言います。これもまた誤解を招く言葉です。「法がそう決めているんだから、その通りにしないと!」みたいな思い込みの原因となっているのではないでしょうか。これももちろん間違いで、本人の意思が示されていなかった場合は、相続人全員で話し合って決めればよく、それすらもうまくいかなかった場合が法定分割の出番なのです。
 “本人の意志”というのは、赤の他人が本に書くわけには行きませんから、この種の解説書はたいてい法定相続の方から始まります(実は条文でも、遺言より先に来ます)。これもまた「法定相続=原則」という誤解の原因かもしれません。ここでは、遺言の方から先に説明していきます。

相続の考え方

 遺言について書く前に、そもそも相続とは何なのかを、ざっと整理しておきましょう。
 俗に「金は墓場まで持っていけない」なんて言いますが、民法上もこれは同じで、死んだ人間に帰属する財産というのはありません。家を持つ人は多いですし、多かれ少なかれ預貯金だってあるもの。もし「資産は死んでも残る」制度になっていたら、持ち主のいない家や、誰も使うことができないお金が、そこら中に転がってしまいますね。なので、ふさわしい人に引き継がせる必要があるのです。これが相続です。
 では、引き継ぎの客体は何でしょうか。実のところ、人は財産だけを残すのではなく、借金や契約関係(契約を結んだことで生じる権利義務)なども残して亡くなりますから、これらを含めて考える必要があります。相続は、こういう故人の状態を、まるっとそのまま引き継ぐものです。故人名義の財産を引き継ぎますし、故人がしていた借金、そして契約上の立場も引き継ぐことになるのです。
 現実の相続は、役所や関係各所への届の他、預金を引き出したり名義を移したり借金を弁済したり(さらには生命保険の保険金をもらう手続きをしたり)といった、手間のかかる作業です。こうした過程も本来は重要なのですが、法律家の相続に関する話題は、ほぼその前段階に集中しています。「誰が」「何を」「どう分けるか」です。
 「誰が」は、相続人の範囲です。if文付きで法定されています。
 「何を」は、相続財産です。資産と負債を特定して、相続財産が決まります。このとき、資産でありながら除外されるものもありますし、資産でないのに加算されるものもあります。物や証券は、お金に換算して資産に加えます。また死亡を前提に贈与を行う分(遺贈または死因贈与契約)があった場合は、それを先に資産から差し引く必要があります。
 「どう分けるか」は、遺産分割です。遺言があればそれが優先されるのですが、なかった場合に備え、あれこれと法定されています。相続人にとって「具体的にいくら貰えるのか」と直結した部分で、まさに中心的な関心事となっているのです。

遺言の効果と種類

 冒頭にも述べたように、最優先されるのは故人の意思です。とはいえ「死人に口なし」というのも事実ですね。誰かの「実はお父さん、亡くなる前にこう言ってたのよ」でみんなが納得すればそれでいいのですが、なかなかそうもいかないでしょう。そこで現実的には、遺言の出番となります。
 遺言で示す財産権の変動は、遺産分割の指示あるいは遺贈です《*1》。「どこそこの土地を長男に…」というように相続財産を指定することもできますし、「私の財産の半分を長男に…」というように包括的に書くこともできます。そして遺贈の場合、相手方は自由に選べます。孫や甥あるいは息子の嫁など法定相続人から外れる親族が代表的ですが、法定相続人であっても対象になりますし、世話になった人や社会事業を営む法人など、赤の他人に対してでもすることができます。極端な話、「あたしの財産はぜーんぶキムタクに遺贈するわ!」なんて遺言であっても有効なのです(たぶん先方が受け取らないとは思いますが)。ただし、遺留分という、ちかしい親族が持つ最低保証の相続分があるため、全額が遺言どおりに執行されるわけではありません(詳しくは1節立てて後述します)。
 なお、財産分割や贈与以外にも、遺言執行者を指定したり非嫡出子への認知を行ったりと、遺言でできることはいろいろあります。また付言といって、法的効力のない言葉を載せることも可能です。例えば、遺産をなぜこのように分割したのかの理由を説いたり、感謝の言葉を述べたりといったことが典型ですし、また、葬儀や墓はこうして欲しいとか、先祖代々の土地を守り続けて欲しいとか、残された猫の世話を頼むとかも、付言ということになります。
 遺言は、意思能力を持つ本人なら、いつでも取り消すことができます。また、内容の異なる複数の遺言書があった場合、優先されるのは新しい方です。

 遺言は、その作り方によって3通りに別れます。(1)自分一人でこっそりと書く自筆証書遺言、(2)書くのは自分だけど存在について誰かに証人になってもらう秘密証書遺言、(3)公証人に口述筆記で作ってもらう公正証書遺言です。ただ、現実には(2)はあまり使われていません。なので2種類という形で、セミナーでは紹介しました。とはいえ、自筆証書遺言保管制度が2020年にスタートしており、これは実質的な新類型と考えていいものです。というわけで、(1)自筆証書遺言、(1-B)法務局が保管する自筆証書遺言、(3)公正証書遺言の3種類が、現実的な選択肢です。
 この3つの違いはいろいろあるのですが、もっとも重要な点が専門家の介在です。(1)は基本的に誰も介在しませんが、(1-B)の場合は法務局の窓口職員が形式面でのチェックをします。そして(3)の場合は書く人そのものが専門家です。遺言は厳密な様式行為で、決められた様式を守らないと無効になってしまいますが、専門家が介在する方法を取ることで、そのリスクを大きく減らせます。
 ここで、各方式のメリットとデメリットを比較対照するのが親切なのですが、ずばっと結論を言ってしまいますと、公正証書遺言がいちばんのおすすめです。次のようなメリットがあるからです。
  1. 公証役場に保管されるので、紛失(or握り潰し)の恐れがない。
  2. 証拠能力が高く、不満遺族が起こす無効の訴えに対して強い。《*2》
  3. 公証人という強力な法の専門家が内容に関与してくれる。
 とくに重要なのが、3番め。公証人というのは公証役場にいる公務員ですが、この人たちはただの役人ではありません。その大半が元裁判官または元検察官なのです。登録すれば即座に弁護士開業できる人たちで、法的能力は弁護士の上位互換です。費用はかかりますが、実はそんなに大きな額ではありません。相続財産額によって異なるのですが、3~5千万円の場合で約3万円《*3》。自筆証書遺言の作成を弁護士事務所に依頼したら、この10倍はかかるでしょう。1,2のメリットもあることを考えると、ただ同然といってもいいくらいです。
 公正証書遺言を作るためには、証人二人の立会が必要になります。「利害がない人」という条件があるので、家族は証人になれません。ただ、友人知人はOKですし、公証役場に頼むこともできます(料金は別途かかります)。また相続プロセスに関与した士業はふつう利害関係者ではありませんから、行政書士&事務員という組み合わせでも問題ありません。

*1 遺産分割の指示または遺贈:両者はあまり区別して考えられていないと思いますが、実は法的効果に違いがあります。まず遺贈は贈与なので、他の相続財産から取り除いて扱われ、遺産分割の対象になりません。指名された側は対象財産ごとに受け取るか断るかを選択することができます。受ける財産が不動産の場合、登記は単独ではできず、相続人との共同になります。また、後述する代襲相続の対象に原則なりません。このような違いがありますから、明確に贈与したい意思のある場合(法定相続人以外の人は皆そうなります)は「…を遺贈する」、それ以外は「…を相続させる」というように書くのが、公証役場が配布するチラシにも書かれた、好ましい書き方です。

*2 無効の訴えに対して強い:自分に不利な遺言を出された法定相続人が「捏造だ!」「ボケた親父を騙して書かせたんだ、無効だ!」などとごね、有効性が争われることがあります。公正証書遺言の場合、実際に公証人が確認した上で作られていますから、その証拠能力は強力で、裁判でそれを覆すことはたいへん困難なのです。

*3 相続財産額によって…約3万円:公証の料金は法務省などのウェブで料金表が公開されています。相続の場合は、分割する相続人ごとに相続額を適用した上で合算するという方法をとるので、通常これよりは大きな額となります。また、公証人自身が文書を作成するため、ページ数に応じて費用がプラスされます。

遺言がなければ遺産分割協議

 有効な遺言がある場合、相続はそれに従って行われることになります。なので、故人がそれを残していてくれるのがいちばんいいのです。家族としては、なるべく作ってもらうよう働きかけを行うべきです。「縁起でもないこと言うな!」なんて怒られそうでつい二の足を踏んでしまいますが、そもそも生命保険に入っている人なら、自分の死後への対応もできるはずです。また、財産の処分よりも、例えば終末期医療とか葬儀方法とかを切り口に話を始めるといいでしょう。
 ただ実際のところ、遺言を残している人は80代でもようやく10%程度なので、なしの状態で相続を迎えることの方が多いでしょう。一生懸命探しても出てこなかった場合、遺族で話し合って決めることになります。これを、遺産分割協議といいます。
  「姉さんが最後まで面倒見たんだから、全額姉さんでかまわないよ」
  「そんなの悪いわよ。家を出たって言っても、
   あんたも父さんの子供なんだから」
  「じゃあさ、こういうことにしない?」
 なんて感じで決まれば、それがいちばんいいですね。「そんなうまく行くかよ!」と突っ込みたくなるところですが、実務経験が豊富な人の話だと、実はけっこう多いそうです。ただ、そのような家族でも、実際に遺産を分割する段階になるともやもやしたものが立ち込めてくることも多いのだとか。口頭だけの合意では後から取り消せてしまいますので、安定のためには合意の結果をきちんと文書に残しておくことが必要です。これを遺産分割協議書と言います。実際の遺産分割にあたっては、役所や金融機関・証券会社など、第三者への手続きが必要になりますが、これがあればスムーズに行うことができます。
 さて、遺産分割協議について、注意すべきことがあります。法定相続人全員で行わなければならないということです。相続人=家族というわけではありません。前妻との間の子のような、現在の家族からすると全くの没交渉の相続人がいる場合もあります。また、人によっては婚外子が存在する場合もあるでしょう。遺産分割協議が終わってから登場してきたりすることのないよう、ちゃんと調査することが必要です。なお協議自体は、一堂に会する必要はありません。誰かが音頭をとって合意をまとめ、協議書を郵送して判押してもらうということでも、問題ありません。
 そしてもう一つ、重要な問題があります。法定相続人の中に認知症患者がいる場合です。
 こういう例は、決して少なくありません。配偶者は筆頭の相続人ですが、高齢者の配偶者もたいてい高齢者で、認知症リスクを持っているのです。遺産分割協議に参加するためには、意思能力を持っている必要があります。なので、認知症だからといって一概に否定されるわけではありませんが、不満のある相続人が後からそのように主張してくる可能性はあるでしょう。また、意思能力が否定されてしまう水準の認知症だった場合、成年後見人がいないことには、遺産分割協議自体ができなくなります。

実は簡素な法定分割のルール

 冒頭にも書いたように、法定相続は最後の手段です。ただ、誰が相続人になるのかを確定する基準となりますし、相続税の計算や故人の負債を分割する上の前提ともなりますから《*4》、遺産分割協議で丸く収まる場合でも、その規定は理解しておく必要があります。
 相続とくれば紛糾、というのが通り相場。さぞ複雑なルールなのかと思いきや、法定相続は、実は単純です。
 まず、相続人の範囲。配偶者の他、3通りの続柄が優先順位とともに規定されています。

  第1順位 子
  第2順位 親
  第3順位 兄弟姉妹

 配偶者は必ず相続人ですが、これら順位付き相続人は、最上位者だけが相続対象になります。例えば第1順位である子がいた場合、第2順位以下の親兄弟は相続対象にはなりません。子がいなかったら親、子も親もいなかったら兄弟姉妹が、はじめて相続人になるということです。そしてこの外にいる人…例えば叔父叔母/息子の嫁/離婚した元妻/内縁(事実婚)の妻/認知していない隠し子などは、相続人ではありません。
 そして、相続人の間での分割。配偶者と順位付き相続人の間で分割するわけですが、後者の取り分は順位が下るごとに小さくなります。

  配偶者&子   :1/2ずつ
  配偶者&親   :配偶者が2/3、親が1/3
  配偶者&兄弟姉妹:配偶者が3/4、兄弟姉妹が1/4

 この取り分を、同順位の相続人内で分配することになります。例えば、一家のお父さんが妻と子供二人を残して亡くなった場合、法定分割では、妻1/2、長子1/4、次子1/4となります。子供が3人いたら、妻1/2、長子1/6、第2子1/6、第3子1/6です。なお、非嫡出子や養子であっても等しく子の中に含みます。
 また、子や兄弟姉妹については、代襲相続というものがあります。たとえば、子自身が既に亡くなっていたら、その子が相続人の地位を受け継ぐのです。子の場合は再代襲もあるため、例えば孫も死んでいたとしても、曾孫がいたら相続人になります。

 一つ、実務的に注意すべきことがあります。再婚時の連れ子です。
 若いときの再婚で連れ子も幼かったという場合、通常他の子供たちと同じように自分の子として扱うでしょうし、呼ばせ方も当たり前のように「お父さん」「お母さん」になるでしょう。しかし、法律上は赤の他人です。きちんと子として扱いたかったら、養子縁組をする必要があります。
 このことは案外知られていないようで、特に夫の連れ子に対し妻が養子縁組をすることは、とても少ないと言われています。子の姓を変更する必要がないため、そうなってしまうことが多いのですね。
 この状態で怖いのは、二次相続のときです。夫が先に逝き、残された財産をいったんは妻がすべて相続するというケースも多いのですが、妻にとって夫の連れ子は赤の他人なので、二次相続のときに対象から外れてしまうことになります。

*4 故人の負債を分割する上での前提:資産は遺言に基づいて分割されますが、負債は遺言に関わらず法定分割されます。また、契約上の地位も、遺言とは無関係に法定相続人に継承されます。例えば故人が他者の借金に関して保証人契約を結んでいた場合、その保証人としての地位も法定相続人に引き継がれることになります。いっさいまとめて承継しないのなら、ちゃんと相続放棄の手続をとる必要があります。

大きく変わった遺留分制度

 「最優先は故人の意思」と言いましたが、実は包括的な例外が規定されています。前にも軽く触れた、遺留分というものです。これは、故人とちかしい関係にある親族に対して認められている“最低保証額”と考えてください。例えばお父さんが「全財産をUNICEFに遺贈寄付する」なんて遺言を書いていたら、これをそのまま実行してしまうと、妻子は生活に困ってしまいます。そこで、一定分を遺産分割の最低保証として、遺言での指定分から取り除けるという仕組みになっているのです《*5》
 で、その遺留分は、全体として1/2(相続人が親など直系尊属だけだった場合、例外的に1/3)です。これを、法定分割に従って分けたものが、各自の遺留分。なので、妻&子2人という家族で上記のようなことがあった場合、子のひとりの遺留分は1/2×1/4で1/8ということになります。
 実際には、第三者への遺贈ではなく、法定相続人の誰かに偏っていた場合の方が現実的でしょう。例えば1,200万円の遺産があって、遺言の内容が「全部を第二子に相続させる」となった場合、遺留分全体が600万円。このうち1/2が妻の分で1/4が各子の分ですから、妻は300万円・第一子は150万円の遺留分を持ち、残った750万円が実際の第二子の相続分ということになります。
 なお、遺留分が主張できるのは、第二順位の相続人まで。兄弟姉妹には、ありません

 遺留分の制度は、2008年の法改正で大きく変わっています。それまで「遺留分減殺請求権」だったものが、「遺留分侵害額請求権」になったのです。文字では見落としてしまうほどに小さな違いですが、効果は大きなものです。
 旧制度での遺留分は、具体的には分割比率でした。現預金であれば金額で分けられますが、不動産や株の場合、持ち分で分けることになります。ただこうなると、一つの不動産の持ち主が複数になってしまったり、会社の経営権が分散してしまったりといったことが発生します。不動産は売りづらい=価値が下がることになってしまいますし、オーナー企業だと経営の不安定化につながります。
 現制度では、金銭補償に一元化されました。上記の場合で相続財産が1200万円相当の土地だけだった場合、兄は弟に対して「150万円くれよ!」と請求することができますが、「1/8の共有分をくれよ!」とは言えないわけです。基本的にメリットの方が大きいのですが、例えば不動産しか財産のない親からその不動産を相続してしまうと、兄弟から遺留分侵害額の請求を受けたときに現金が必要になり、結局その不動産を売らなければならないというようなこともあり得ます。

 近年時効制度が大きく変わりましたが、遺留分侵害額請求権はいまだ短期時効の対象です。相続開始と遺留分侵害の両方を知ってから1年で、請求権は消滅します。また、これに該当しない場合でも、10年で除斥となって権利は消滅、もう請求することはできなくなります。

*5 遺産分割の最低保証として…:遺贈は本来贈与ですが、遺留分侵害額請求権の対象となります。なお遺留分そのものの意義ですが、学者の中には「相続財産の保全」を挙げている人もいます。相続を受ける人たちを集団として捉え、その財産的な権利を守るためにあるのだとしているのです。この見解は、本人の意思よりも相続人集団の権利を重視しているということで、戦前の家制度に引きずられた考えに他ならず、個人の意思を尊重する現行憲法下の解釈としては、明らかに間違っています。

相続に参加しない/できない場合

 さて、あなたが誰かの死亡によって、相続する立場になったとしましょう。これは否応なく受け入れなければならないものではありません。3つの選択肢があるのです。

  1. 包括的に承認する
  2. 限定承認する
  3. 放棄する

 「自分のことは自分で決めていい」というのは、民法の大原則です。相続についても同様で、例え法が相続人と指定してきても、また故人に「この土地はおまえに相続させる」と指名されたとしても、自らの意思で放棄することができます。これが3の選択肢です。
 既に述べたように、相続するのはプラスの財産だけではありません。また、“争族”の輪に加わるくらいなら権利を放棄したほうがまし、と考える場合もあるでしょう。その他様々な理由で相続放棄という選択はとられます。相続放棄が実行された場合、相続はその人抜きで行われます。また、その子に代襲されることもありません。
 相続放棄は、単独でできます。方法は、家庭裁判所に対する申述です。他の相続人に「俺、遺産いらないから」と宣言しても、法的効果の認められる相続放棄にはなりません。
 放棄を行わない場合が、承認です。限定承認というのは、「相続財産から責任と負債を差し引いて、財産のほうが多かったらその分を受け取る」という形の承認です。一見便利なようですが、様々な困難があり、実際に行われることは多くありません(例えば2020年の場合、放棄23万4千件に対し、限定承認は700件未満です)。なお限定承認も、家庭裁判所に申し立てて行います。このとき、相続人全員で行う必要があります。
 相続放棄も限定承認も、与えられている期間は、相続の事実を知ってから3ヶ月です。この間に何も申し立てが行われなかった場合、単純承認したものとみなされ、資産も負債も全てを受け入れるということになります。重大な決断の割にはやたらと短いのですが、皮肉なことに「熟慮期間」と名付けられています。

 相続放棄以外にも、特定の人が法定相続人から排除される場合があります。欠格と廃除です。
 欠格は、法の規定によって、相続人としてふさわしくない人を自動的に取り除く規定です。例えば、早く遺産が欲しくて親を殺したなんて息子を相続人にすることは、道徳上間違っていますね。このような場合の他、遺言の改ざんや隠匿などを行ったりした場合、自動的に欠格となり、相続から排除されてしまうのです。
 これに対し、廃除というのは、被相続人の意思として取り除く場合です《*6》。虐待を受けていたとか侮辱されていたなどの理由があれば、対象となります(単に『わしの言うことを聞かなかった』程度ではだめです)。なお、廃除が認められるためには、家庭裁判所の審判が必要です。生前に廃除を行う場合は本人が申立てを行うわけですが、遺言の中に書いておくこともできます。その場合は遺言執行者によって審判の申立てが行われます。

 逆に、遺言での指定がないにも関わらず、親族以外の者が相続する場合もあります。
 法が定める相続人は、いわゆる「親戚」よりもかなり幅が狭いもの。その結果、相続人が誰もいないという場合もあります。このような場合、最終的には国庫に収められるのですが、故人の思いということを考えれば、例え法定相続人ではないにしても、誰か近しい人に相続させた方が望ましいと言えるでしょう。
 そこで、特別縁故者という制度があります。本人と特別な関係にある人を特別縁故者として認め、遺産を相続させるというものです。これは内縁の配偶者を意識した制度ですが、それに限定されるわけではありません。ずっと身近なところにいて身辺の世話をしていた人というような場合、たとえ親族関係がなかったとしても認められる場合があります。また、同性カップルのパートナーもこれに該当することでしょう《*7》
 ただ、単なる友達程度では、認められません。

 相続放棄については、一つ注意しておく点があります。「ツケは誰かに回る」といことです。
 誰かが相続放棄をすると、その人の相続分は他の相続人に回されます。例えば、お父さんが借金を残して死に、妻子一同が相続放棄をしたら、どうなるでしょうか。この場合、既に親が亡くなっていたら、兄弟に行くことになります。そして、兄弟自身が既に亡くなっていたとしても、一代は代襲相続されますから、その子=お父さんからみた甥姪が相続人です。債権者としては、ここに取り立てに行くことができます。
 これを逆方向からみてみると、怖い可能性が浮かび上がってきますね。――ある日突然、あなたのもとに借金取りが現れ、多額の返済を迫ってきた。何でも、4ヶ月前に叔父が借金を残して亡くなったという。叔父の死亡は伝え聞いていた。だがその叔父は自分の親と仲が悪く、ほとんど会ったことがないし、葬儀にだって招かれていない。一方で、叔父の妻もいとこたちも存命で、十分な資産を持っている。あなたは叫んだ。「あいつらから取り立てるのが筋だろ!」 だが借金取りは冷たく首を振った。彼らは既に相続放棄をしていたのだ……。
 なおこのリスクは、最終的には貸した側のところに行きます。相続人一同で相続放棄を行うと、貸した側は誰からも弁済を請求できないのです。プロの金貸しならそれもしかたありません(金融というのは、貸し倒しリスクの代償として利益を得るビジネスです)。しかし「知人から懇願され、一千万円用立てた」というような場合、合法だからといって踏み倒すことは、道義的にどうなのでしょうか。
 このあたりは、法律とは別の尺度で考えなければいけない問題でしょう。

*6 廃除というのは、被相続人の意思として…:廃除はなかなか認められません。司法統計によると、生前の申し立てがあった場合でも、認められたのは2割程度。遺言による廃除はさらに難しく、実際にはほとんどゼロだそうです。高齢者には認知症リスクがありますが、この病気はしばしば被害妄想として現れます。献身的に面倒を見ている家族のことを「自分を虐待している」「財産を乗っ取ろうとしている」などと非難することも少なくありません。家庭裁判所の審判も裁判の一種ですから、当事者の主張を認めるためには証拠が必要です。被相続人の一方的な言明だけで応じることはないのです。

*7 同性カップルのパートナー:日本法では養子制度の幅が広いため、これを利用して法的に家族になっている同性カップルも多いものと思われます。この場合の相続は親子と同じ扱いですから、わざわざ特別縁故関係を持ち出す必要はありません。

法が定めるプラスとマイナス

 以上述べてきたように、竹を割ったような明解さで分割してしまうのが法定分割なのですが、この結果、遺族間の不公平感が生じてきます。というのも、生前の関わりはそこまで平等ではないからです。「介護は全て私と妻でやったのに、なぜ家を出て寄り付きもしなかった弟と同じなんだ!」と言う兄と、「早くから独立して親に負担をかけなかった俺が、なぜ実家にタダで住み続けてきた兄と同じなんだ!」と言う弟。こんな形で不公平感と憤りだけを共有してしまうなんて事態は、残念ながらよくある話です。
 単純な分割からくる不合理さを調整するための仕組みとして、特別受益寄与分・特別寄与者という制度が設けられています。「相続財産をどう増減させたか」という視点で、金額の増減を行うわけです。

 まず特別受益。生前贈与など、相続前に相続財産の減少につながるような形で利益を受けていた相続人がいた場合、その分を相続取り分に反映させるというものです《*8》。受けていた利益額を遺産の中にカウントしてから分割を行うのです。
 例えば、妻・長男・次男に2000万円を残して亡くなった人がいたとします。法定相続では、各子の取り分は500万円です。しかし、次男だけが400万円の生前贈与を受けていたとしたら、そのままでは不公平になってしまいます。そこで、この400万円分をいったん相続財産に加え(これを『持ち戻し』といいます)、合計2400万円とみなして分割するのです。この場合、子の法定相続は600万円。そして次男はこのうち400万円を既に受け取っていますから、実際に分割されるのは200万円です。妻に1200万、長男に600万、合計2000万円となります。このように、該当する相続人からすれば、相続分が減らされるという効果を持ちます。不満が出てきそうですが、生前贈与分との公平を期すための制度なので、これは納得してもらうしかないです。

 一方、この逆になるのが寄与分です。相続人の誰かが相続財産の形成に資していた場合に、それを全体から差し引くというものです。先程同様に妻・長男・次男に2000万円を残して亡くなった人がいたとしましょう。本人が営む事業を長男が空き時間を利用して手伝っていて、その結果400万円分の貢献があったとします。そこで、相続財産から400万円を引いて分割を行い、その上で長男に400万円を加算します。妻800万、長男800万、次男400万となるわけです。
 そして、相続人以外の親族によってそれが行われた場合が、特別寄与です。特別寄与料が認められる場合、その金額は相続財産全体から差し引いて特別寄与者に渡されます。この制度は「息子の嫁」を想定しています。長男の配偶者の介護によって、介護費用相当額が計50万円相当浮いた…と認められれば、長男の配偶者にまず50万円が渡され、残った1950万円を妻・長男・次男で分割するということになります。

 特別受益として持戻しの対象には、生前贈与以外にもそれと同等となるような財産支出が含まれます。例えば新居を構える際に建設資金を出したり土地を譲ってくれたとか、事業を始めるにあたって開業資金を出してくれたとかいったことです。他、生命保険の受取金も、額によっては特別受益となります。死亡保険金は受け取った人の固有の財産として扱うのが基本ですが、相続財産との比率が高い場合は特別受益として扱われてしまうのです。
 一方で、通常行われる程度の支出では認められません。例えば長男の嫁取りの際に結納金を負担したとかの類は、社会慣習の範囲内での出費なので、生前贈与と同等とは認められないのです。また、遺贈についても、持戻対象にはならないというのが通説です。
 なお、持ち戻しの対象になるのは、過去10年間の分に限られます。

*8 特別受益:一般向けの解説書には、例として「大学の学費を出してもらった」というのが、よく載っています。「兄は大学に行って学費も出してもらったが、弟の自分は高卒だった。なので学費分が特別受益だ」といったことです。しかし、実際には、これはまず認められません。というのも、学費を負担するというのは親として当然のことなので「特別な利益を与えた」わけではないからです。生活費援助も同様で、職を失った息子に毎月仕送りをしていたとしても、それは普通の支援に過ぎません。学費うんぬんという例は、おそらく、学生にリアリティを感じさせるために教授が教室で使った表現が、そのままミーム化してしまったものではないでしょうか。

話し合いがつかなかったら

 寄与分や特別受益などの調整規定はありますが、それで不公平感が解消するのかというと、まず難しいでしょう。むしろそうした主張が対立を煽ることにも繋がりかねません。
 法が規定するのはここまでなので、それでも話し合いがまとまらなかったら、家庭裁判所に行き、調停や審判を通じて決着をつけるしかありません《*9》
 調停というのは、裁判所で行う話し合いです。調停委員が間に立ち、双方の言い分を聞き、妥協案をまとめます。調停委員は法律の専門家ではなく、法律論に縛られない案を出すことが期待されています。場所も法廷ではなく、ふつうの会議室のような部屋です。そして、“相手の目の前では言いづらい”に配慮し、別々に室内に招いて話を聞くという方法をとります。そうして出てきた調停案に全員が了承すれば決着となりますが、誰か一人でも反対者がいれば、その先の段階である審判に進むことになります。
 審判は、裁判の一種です。通常の訴訟とはあれこれ違っていますが、裁判官が双方の証拠に基づく主張を聞いて結論を下すという点は同じです。証拠を出しながら自己の言い分を主張し、また相手の言い分を反証とともに否定するということを当事者双方がお互いに繰り返した上で、裁判官は審決を下します。この法的効果は判決と同じで、確定することで執行力を持ちます。審決に不服がある当事者は、高等裁判所に特別抗告をすることができます。そして争いは最終局面へと進んでいくわけです。
 調停は、積極的に利用してもいいでしょう。ただ、調停が不調になった場合、自動的に審判に移行します。こうなると本人だけでやり遂げることは難しく、「双方、弁護士を立てて」の争いとなることが多いでしょう。何らかの決着は確実に付きますが、親族間の関係は、修復困難なほどにボロボロになってしまうことが用意に想像つきます。故人の意思はわからないにしても、「いくらなんでもこれを望んでいたはずはない」状態が、現実にもたらされてしまうのです。

*9 調停や審判を通じて…:先に調停をすることが一般的ですが、最初から審判を求めることもできます。また、分割以外―例えば遺言の有効性や相続人資格などが問題になっている場合は、訴訟として行われます。

結びに

 以上、相続に関する基本的なことをざっとまとめてみました。結構な分量に面食らっている方もいると思いますが、実はここに書いたようなことは本当に「ABC」です。調整の結果をさらに調整するための規定もありますし、様々な例外規定もあります。また、相続とくれば「税金」ですが、その点もここではいっさい触れていません。詳しく知りたい場合は、ネット上にも様々なコンテンツがありますので、ある程度は参考になるでしょう。しかし現実の問題が想定されているのなら、やはり専門家への相談がベターです。様々な士業や業者が「相続相談」の看板を掲げていますが、発生後まで視野に入れて考えると、司法書士と行政書士が中心になるものと思われます。

 何度も強調しているのですが、法定相続はなるべく避けるべきです。故人の思い、遺族との関係性、そして財産の内容。これらはその家族ごとに違っています。それを単純な整数比でズバッと割ってしまうのが、法定相続なのです。
 とはいえ、遺言が万能かというと、そうではありません
 まず、遺言には条件を付けることができません《*10》。「私の持つ住居兼店舗と倉庫のいっさいを、家業を継ぐことを条件に相続させる」というようなことは書けないのです。
 また、代をまたいだ指示もできません。例えば、妻と子二人がいる人が、自宅を含めて二カ所の不動産を持っていたとします。こうなると、その二カ所は二人の子供に別々に相続させたくなりますね。そこで「自宅は妻に相続させ、妻が亡くなった後は長男に相続させる。次男にはもう一カ所の土地を相続させる」などと指定したくなるでしょう。でも、これはできません。遺言全体が無効にならないにしても、「妻が亡くなった後は…」部分に効力はないため、二次相続の段階で次男さんにも自宅への相続分が発生してしまうのです。
 そして大きな問題になるのが、遺言作成時点ですでに認知症を発症していた場合です《*11》。制限行為能力者でも15歳以上なら作成できますが、「事理弁識能力を欠いた状態」ではできないため、成年被後見人であれば基本的にだめですし、被保佐人でも引っかかってきます。そしてそんな可能性があるわけですから、遺言内容に不服のある相続人は、当然そこを突いてきます。
 こういった問題を解決するためには、判断能力低下から死亡後の財産分割までを一連のプロセスと考えて対策していく必要があります。そのために使えるのが、家族信託というスキームです。
 続く最後のパートでは、この家族信託を中心に説明していきます。

*10 遺言には条件を付けることができません:if文は書くことができます。例えば「この土地を妻に相続させる。ただし私よりも先に妻が亡くなっていた場合は、長女に相続させる」というような形です。プログラミング用語ではこういうのを「条件分岐」というため、「おいおい、条件つけられるじゃねーかよ!」なんてプログラマに思われたくなくて、あえてここで追加説明しました。

*11 遺言作成時点で既に認知症…:意思能力が疑われる人が公正証書遺言を残す場合、まず医師の診断書が必要です。その上で、公証人が面談を行い、意思能力の有無を判断します。