第4版、第5版 No.21
東京高裁 H11.10/28判決 H10(ネ)2983号
事件の概要
年刊の用語集「知恵蔵」の創刊に携わったブックデザイナーが、契約終了後も自分が作成したブックデザインを使用し続けた版元である朝日新聞社の行為について、著作権侵害を訴えた。
争点
ブックデザインは著作権の対象になるか。
判決
原告敗訴。版元の行為は、具体的には「創刊時のレイアウトフォーマットをそのまま使っている」ということだが、その実体はレイアウト用紙に書かれた文字組指定に過ぎず、著作物性は認められないので、著作権侵害はない。
解説
『現代用語の基礎知識』という本があります。年鑑形式の用語集で、戦後間もない頃に創刊し現在まで続いているという、ある意味文化遺産のような出版物です。2020年版から一気にダウンサイジングされたことが話題となりましたが、逆に言えば、それ以前はでかくて分厚い本の代名詞でした。
本家が萎んでしまった現在では想像するのも困難ですが、90年代には類似書が二つありました。80年代終わりに創刊された集英社の『イミダス』と、その2年後に登場した朝日新聞社の『知恵蔵』です。この知恵蔵のページレイアウトを巡って争われたのが、本事件です。
原告は鈴木一誌さんという、著名なブックデザイナー。新用語集の創刊にあたり編集長は(たぶん)三顧の礼で招請、これに応じた鈴木さんが企画段階から参加して知恵蔵は創刊され、先行する二誌と肩を並べて書店に登場しました。
さて、翌年です。原告は編集作業には参加しませんでしたが(何しろもう出来上がっていますからね)、契約に基づいてレイアウト使用料は支払われました。ところが94年版の編集にあたり、会社からこんな要望が告げられます。「契約関係を解消したい。だが、レイアウトフォーマット自体はそのまま使用したい」……鈴木さんは拒否しましたが、結局代金は支払われないまま、レイアウトフォーマットの継続使用は強行されました。それで、裁判になったわけです。
法廷で直接争われたのは、ブックデザインの著作性です。
原告は、企画の早い段階から積み上げたコンセプトワークの成果がデザインであり、その過程にこそ創作性がある旨を主張しました。いわば「知恵蔵」が作られる経緯全体を俎上に上げたのです。一方被告は「レイアウトフォーマットが著作物かどうか」の一点で勝負しました。これは、具体的にはレイアウト用紙に書かれたフォントの種類やサイズの指定のことを意味しています。実際に作られ、そして第三版で使われたのはレイアウトフォーマットだけですから、法的に意味を持つのもこちらの方です。一審で原告敗訴、二審では契約経緯のやりとりを中心に議論を展開したのですが、判断は覆りませんでした。原告は上告を断念、判決はこれで確定しています。
補足
この事件、私は裁判進行中から注目していました。
一応、当時の私はデザイナーに近い立場です。特にブックデザインというテーマは、本気でそれを仕事にしようと思っていた時期もあったくらいで、他人事ではなかったのです。でも、そんな私をもってしても、これは無理筋だと思っていました。
確かにブックデザインは重要な創作的行為です。でも、重要な創作的行為の全てが権利の客体になる訳ではありません。なぜなら、権利と義務は裏表で、誰かが権利を持つと、他の誰かに義務が課せられるからでです。著作権には対世効=世界中の人に対して主張できる効力があります。あるデザインフォーマットに対して著作権が認められると、世界中の(それを知っている)人は、同じものを無断で使わないという義務が課せられてしまうのです。これが絵だったら同じものを書かなければいいだけのことですが、文字組の指定とあっては影響は甚大です。「こんな素敵なお仕事してるんだもの、著作権ぐらい認めてあげなくっちゃ可哀想よ!」という訳にはいかないのですね。
ただ、ここからは、ふとこんな言葉も浮かんでくるのです。
「男には、負けると解っていても、戦わなければならないときがある」
その名も「知恵蔵裁判全記録」という書籍があります(大判で5千円ぐらいします)。先日初めて手にしたのですが、これには感銘を受けました。自分の主張も被告側の主張も、平等に載せているのです。また、美しさと見やすさが高レベルで調和している点も(“も”っていうか、本当はこっちがメインなんですけど)感動しました。デザイナーがデザイン的な攻めに出ると概して読みづらくなるものですが、この「全記録」は別。読みやすく、全体の把握もしやすく、ページをめくることが嬉しくなってくる仕様です。本家判例百選にも見習ってほしいぐらいです(5千円に値上げされると困りますが)。
こういう力を注ぎ込んで、『知恵蔵』は作られていたのですね。でも、今となっては“兵どもが夢の跡”ですが。