みんなの著作権―オンライン専用版―
第2部 じっくり編
2.どんな権利なのか

みんなの著作権 第2部 2章 著作権の概要

▶日本における著作権の制度は、明治8年制定の「出版条例」で定められた『版権』から始まっていますが、これには出版以外は含まれていませんでした。その後、音楽なども含んだ『著作権』として再定義されるのですが、それ以降も新しい種類の著作物が登場するたびに後を追うように改正され続けてきました。結果、建て増しを重ねたつぎはぎだらけの建物のように複雑で、迷子になってしまいそうな面があります。
▶この章では、著作権がどんな権利なのかに関する基本的な考えをはっきりさせていきます。

コピーライトは複製権

 著作権は、著作することによって発生する、著作物に対する独占的な権利です。性質的には所有権と似ています。作ることで発生し、世界中の人に対して主張できるからです。独占的な権利なので、他人に使わせたり譲ったりすることも可能です。
 しかし、著作物ならではの「複製できる」という特性から、実際の権利の使い方は大きく異なったものとなってきます。例えば小説なら、手書きの原稿用紙のままでも著作物には違いありませんが、通常は本という形で大量生産することが前提になるでしょう。
 著作者は、自分の著作物を複製する権利を持っています。これを複製権といい、著作権の中心的な権利になってきます。もしそれが誰にでも自由にできるようになっていたら、作家なんて職業は成立しませんね。法律で保護しなければならない中心にあるのは、使う権利ではなく、複製する権利の方だといえるのです。
 複製は、自分自身がすることもできますが、権利を独占しているのですから、「することを、他人に許す(許諾する)」という使い方もできます。プロの作家にとっては、こちらの方が基本になるでしょう。作家は、書いた小説を“出版”という形で複製することを、他人(出版社)に許諾するという方法で、ビジネスにしています。野菜なら、「食べることを許す」をしたら野菜そのものはなくなってしまいますから、「譲る」と異なる権利をあらためて定義する必要はありません。しかし著作物は違います。複製しても減らないのですから、それに応じた独特の使われ方を想定している必要があるのです。
 英語では著作権全体のことを“コピーライト”といいます。文字通り、複製権ですね。時代の進化によって、複製以外の用途も出てきていますが、やはり中心概念はここになるのです。

 対世効は、特に契約を結んだ相手でなくても権利を主張できるということですが、これを利用者側から見れば「約束していようがいまいが、自分の知らないところで義務が発生している」ということになります。場合によっては、これはかなり怖いことです。そこで民事法では、物権的な権利は法律でしっかりと決められていない限り発生しないという考え方=「物権法定主義」が導入されています。著作権が細かい支分権に分かれているのは、物権法定主義の表れです。

 「著作」「著作者」などの言葉は、著作権法上では第2条の各項各号で定義されています。

第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
二 著作者 著作物を創作する者をいう。
 法律用語は、日常語をベースにしてはいるものの、厳密な定義の基礎となる必要性から、異なる意味を与えられている場合があります。複製権の「複製」については1項15号で、次のように規定されています。
十五 複製 印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製することをいい、次に掲げるものについては、それぞれ次に掲げる行為を含むものとする。
 脚本その他これに類する演劇用の著作物 当該著作物の上演、放送又は有線放送を録音し、又は録画すること。
 建築の著作物 建築に関する図面に従つて建築物を完成すること。
 通常、設計図に従って建物を建てることは、複製とは言いません。しかし著作権法上の「複製」にはその行為が含まれるのです。

所有者でも著作権は別

 その権利を世界中の全ての人や組織に対して主張できること、そして自由に譲渡できることなど、著作権は物を所有する権利(所有権)に似た権利です。ただ、「似ている」と言っても、まぜこぜにしてはいけません。ひとつの物に対して、著作権と所有権の両方が成立する場合、それぞれは切り離して考えなければなりません。
例えば画家が絵を描いたとします。その作品には著作権が発生していますし、またその作品自体が画家の所有物であることは確かです。しかし、所有権と著作権は、別々の運命をたどります。例え絵の所有権を譲渡したとしても、著作権はそのこととは関係なく、著作者自身の手に残るのです。
 この点は、よく混同されてしまいます。例えば会社の社長が、著名な芸術家の描いた絵を購入したとします。これを社長室に飾る分には問題ありません。また、社内の私設美術館に展示するのも、問題ありません。しかし、それを会社のPR用ポスターの図版に使ったりしたら、芸術家の持つ著作権を侵害したことになってしまいます。
 また、保護期間が終了した著作物について、所有者があたかも著作権者のようにふるまう場合がありますが、これは所有権に基づく占有の効果にすぎません。例えばその美術品の複製について、再配布を差し止める権利などはありません。

 創作は本来無形です。本は有体物ですが、小説は本ではなく、本を媒体として可視化されている情報の方です。このことは美術の場合も同じです。物という形をとっている場合も、あくまでも価値の元は創作の方にあるのです。原作品を所有したからといって、著作権までついてきているというわけではありません。とはいえ、オーナーは使うつもりで購入しているのですから、それが一方的に制限されるのは困るという面もあります。
 民事法の権利は、しばしばバッティングします。ここで例としてあげている美術の著作物の場合もそうした例のひとつで、買った品物を有効に使いたいオーナーと、著作者としての権利を守りたい著作者との間で、どうバランスをとるのかが問題になります。法は、著作権の支分権の一つとして「展示権」というものを用意し、美術の著作物を展示する権利が著作権者にあることをはっきりと宣言しました。その一方で、第45条で所有者による展示を認めることで、両者の権利の調整を図ったのです。

第45条 美術の著作物若しくは写真の著作物の原作品の所有者又はその同意を得た者は、これらの著作物をその原作品により公に展示することができる。

 なお、保護期間の終了した著作物の場合、所有者はその利用を事実として専有します。複製画制作のための撮影や美術展での展示などについても、対価を得て独占的に行うことができるのです。これはあたかも著作権をそのまま受け継いでいるかのように働きます。しかし、あくまでも所有権の反射効にすぎません。そうして複製された美術品が第三者によって再度複製されたとしても、差し止めることはできません。
  ★顔真卿自書建中告身帖事件

●複製以外の権利

 複製そのものでなくても、それに近い行為という使い方もあれこれ存在します。例えば他国語への翻訳は、文字通りの意味では複製ではありません。また、コミックに対するアニメ版のような作品形態の異なるものを作ったり、世界観やキャラクターを共有した続編あるいはスピンオフ作品を展開したりといった使い方も発生します。
 これらの使い方は、複製権とはあきらかに違うものですから、規定をそのまま流用するわけにはいきません。別の形で権利として定義されています。
実際には、条文上で列挙されています。

上演権、演奏権物語や楽譜を上演・演奏(録画録音の再生も含む)する権利です。
上映権映画を上映する権利です。ゲームソフトも対象になります。
公衆送信権放送やインターネットなどでの公開をする権利です。
口述権朗読などをする権利です。
展示権美術品を展示する権利です。著作者以外に、所有者にも認められています。
頒布権劇場公開用の映画だけに発生する、二次譲渡などを禁止できる権利です。
譲渡権著作物を譲渡する権利です。他人が持つ複製品の第三者への譲渡を禁止できます。
貸与権著作物の複製を第三者に貸す権利です。
翻訳権、翻案権外国語への翻訳や二次創作の権利です。

 これらの権利も、複製権とともに、著作権の内容になります。著作をすることで、これだけの権利を同時に持つことになるわけです。また、効果の及ぶ範囲は、所有権と同じように世界中の人たちです。
 著作者は、こうした権利を独占しています。する/しないの自由があり、する場合も、どういう使い方でするかの自由もあるのです。

 著作権は、数多くの支分権によって構成されています。第22条から第28条までは、そうした複製権以外の支分権が書かれている、いわば「権利カタログ」とも言える部分です。
 著作権の中心となる複製権は21条で規定されていますが、そこで書かれているのは、あくまでも複製の権利に留まります。「もたらす効果が同じだから」といって、明らかに複製ではない行為にまで複製権の対象を広げてしまうことは、物権法定主義の原則から許されません。そこで、数多くの支分権が別個に規定されているのです。
 この部分は、時代の変化の影響を直接的に受けるものなので、かなり複雑です。また、辞書的理解では誤読になってしまう点も多いですし、離れた場所の規定もたくさん引用されているため、たいへん解りづらくなっています。
 以下長くなりますが、個々の権利ごとに解説しましょう。

・上演権及び演奏権(22条)

 劇を演じたり、歌を唄ったり楽器を奏でたりする行為が、上演・演奏の典型例です。ただし、脚本を元に演劇を演じることは、第2条1項15号によって「複製」とされているため、ここでいう上演にはなりません。

第22条 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。

 これだけを見ると、不特定多数へのライブ上演/演奏だけが対象のように見えます。しかし、これも第2条の定義規定で、日常語とは異なった意味づけがされています。
 まず「公に」については、第2条5項で「この法律にいう『公衆』には、特定かつ多数の者を含むものとする。」とあり、不特定・特定を問わず多数が対象であれば含まれることになっています。そして第2条7項では「この法律において、『上演』、『演奏』又は『口述』には…(中略)…録音され、又は録画されたものを再生すること……及び著作物の上演、演奏又は口述を電気通信設備を用いて伝達すること(公衆送信に該当するものを除く。)を含むものとする。」とあるため、録音・録画の場合も含まれます。なので、店内でCDを再生することも、ここでいう「演奏権」の守備範囲になるのです。

・上映権(22条の2)

 上映の定義は第2条17号で「著作物(公衆送信されるものを除く。)を映写幕その他の物に映写することをいい、これに伴つて映画の著作物において固定されている音を再生することを含むものとする」とされています。
 上演と比べ、(1)映写に限定されている、(2)テレビ放送などが含まれない、(3)「公に」という限定がない という点で違いがあり、重なる部分はあるものの、別個の概念です。
 元々は映画の著作物のみに成立する権利でしたが、平成11年の改正で今のような汎用的なものに改正されました。

・公衆送信権等(23条)

 公衆送信は、不特定多数または特定少数に向けて著作物を送信する行為です。かつて「放送権」という権利だったものが、コンピュータ通信の普及にともなって拡張されました。サーバーのような、リクエストに応じて自動的に送信される配信を自動公衆送信と呼び、その実施や許諾を著作者の権利として認めています。この場合、権利の侵害は、サーバー等にアップロードした時点となり、誰も受信していなかったとしても侵害行為は成立します。
 なお、送信と受信がセットで権利化されています。

・口述権(24条)

 公衆に向けて口述する権利です。
 口述は、第2条18号で「朗読その他の方法により著作物を口頭で伝達すること(実演に該当するものを除く。)をいう」と定義されています。また、上演と同様、録画・録音されたものを含みます。

・展示権(25条)

 美術の著作物や、未発行の写真の著作物に関する、原作品を公衆に展示する権利です。なお、第45条に「美術の著作物若しくは写真の著作物の原作品の所有者又はその同意を得た者は、これらの著作物をその原作品により公に展示することができる。」とあるため、所有者は、著作者の許諾がなくても、この規定に基づいて展示する権利が認められています。

・頒布権(26条)

 映画の著作物にのみ認められた権利です。
 頒布という言葉は、辞書的には「有償または無償で配る」ことを言いますが、著作権法上は第2条19号で「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与すること」と定義されていて、貸与までも含んだものになっています。頒布権はこの頒布を許諾対象にできる権利です。
 本来の形では、第一譲渡が合法であるかどうかを問わず主張することができます。隣接する「譲渡権」に存在する権利消尽(後述)の規定が書かれていないからです。この場合、著作者やその許諾を受けた者から合法的に譲り受けた人に対しても、二次譲渡や貸与(=中古販売やレンタル)を禁止できる権利となります。
 ただ、この規定は劇場公開映画の独特のビジネス方式である配給制度を前提として制定されたものであるため、劇場公開映画のフィルムなどに対してのみ、限定的に働きます。大量生産される家庭用ビデオグラムなどでの頒布権は、合法的な第一譲渡によって使い果たされるため、著作者による中古販売禁止などはできません。

  ★中古ゲームソフト事件

・譲渡権(26条の2)

 譲渡権が対象とする譲渡は、著作物やその複製物を、譲渡によって不特定の人に提供する行為になります。
 第2項では除外規定が並んでいますが、この筆頭に「前項に規定する権利を有する者又はその許諾を得た者により公衆に譲渡された著作物の原作品又は複製物」とあります。つまり、著作権者は、自身や自身が許諾を与えた者が公衆に譲渡した著作物については、譲渡権を主張できないということです。わかりやすく言えば「一度売ったら、もうそこから先の売買には口出しできない」ということで、取引常識的には当たり前の話ですが、権利という見えないものが対象となる著作権では当たり前というわけにはいかず、必要に応じて個別に指定しておかなければなりません。なおこのように、第一譲渡で権利を使い尽くすことを「消尽」といいます。
 譲渡権の存在意義は、“合法ではない第一譲渡”の先にあります。例えば海賊版が小売店で売られていたとしても、譲渡権という権利が設定されていなければ、著作者としては手が出せません。なぜなら、海賊版を作った業者は違法でも、そこから仕入れた小売店が事情を知らずに取引したのだとすれば、民法の「善意取得」が成立し、小売店の所有物として合法的に売買ができてしまうからです。そこで譲渡権という権利を支分権として規定しておくことで、このような場合にも直接差し止め等を行えるようにされているのです。
 なお、権利消尽以外の除外規定としては、他に文化庁長官の裁定で使用が認められている場合など4種類が挙げられています。

・貸与権(26条-3)

 いわゆるレンタルの権利です。貸与によって公衆に提供することが、許諾権の対象となっています。頒布権の対象となる映画の著作物については、ここでは除外されます。
 元々は、音楽の著作権だけを対象に登場しました。というのも、80年代にそれまで存在していなかったレコードレンタルというビジネスが登場、音楽産業の地位を脅かす勢いになり、そのとき産業界が運動して急遽制定させた権利だからです。現在では、著作権一般に存在する支分権です。この法的整備が整ったことから、ビデオレンタルの店が、コミック本のレンタルも扱うようになっていますね。また、貸与については、第2条(定義)8項に「この法律にいう『貸与』には、いずれの名義又は方法をもつてするかを問わず、これと同様の使用の権原を取得させる行為を含むものとする。」とあり、これによって売買を装ったレンタルのような脱法行為もカバーされています。
 なお、第38条4項で、「非営利で無償の場合は公衆に貸与できる(映画の著作物を除く)」とされているため、図書館などでの貸し出しなどは、この権利の侵害にはなりません。

・翻訳権、翻案権等(27条)

 二次著作に関する許諾権です。「その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する」と規定されています。比較的シンプルな条文ですが、適応範囲はたいへん広いものです。こんにちのコンテンツ産業では、可能な限りメディアミックスを展開するのが常識ですが、そうした産業利用も本条に支えられていると言えるでしょう。また、翻案権は、盗作が問題になるときに根拠とされます。つまり、作品Aの作者が、他人の作った作品Bに対して「私の持つ翻案権の侵害である」として訴えるのです。なお、著作権の譲渡が行われた場合、この権利は契約上はっきりと書かれていない限り、移転しないものとされています(第61条)。

裏返せば利用者の義務

 権利の反対側には義務があります。著作者が持つさまざまな権利は、利用者にとっては守るべき義務となります。そして、ここで課せられている義務は、一般人の常識と必ずしも同じではありません。
 例えば、音楽を考えてみましょう。私たちは、CDを買ったり借りたりしますし、その発展的な利用として、パソコンへの取り込みや、そこからスマホなどへ転送しての持ち歩きも行います。好きな歌なら、パーティーの余興として合唱するかもしれません。また、CDをバイト先の店に持ち込んで、BGMとして流すこともあると思います。
 これらの行為ですが、実は著作権の視点からは、合法と違法すれすれのところを(しかも微妙にはみ出しながら)動いているのです。
 レンタルCDは「貸与権」に基づいて許諾されているもので、それを使うことは問題ありません。しかし、自由な複製が認められるのは、私的使用(個人や家庭に属する範囲で行われる場合)だけです。そして、複製されたものを譲渡することは「譲渡権」の侵害となります。パソコンやスマホに自分で取り込む分には自由ですが、それをCD-Rに焼いて友達に渡したり、メールに添付して送ったりするのは違法ということです。また、多人数がアクセスするサーバー上に自由にアクセス可能な状態でアップロードすると、「公衆送信権」の侵害になります。そして、多人数が集まる場所でCDを聴かせる行為は「演奏権」に基づく許諾が必要です。生での歌唱も、店で人が集まってる中で聴かせるべく行うのなら同じです。
 CDを買う人は、使うつもりでお金を払っていますから、実際に使う段階で改めて料金の支払いが必要だとは思っていません。しかし、その代価はあくまでも「一般家庭内での私的な使用」に限定されるものなのです。

 作曲家は著作者の一部として「演奏権」というのを持っています。それは、多人数相手の演奏(ライブだけでなく録音した演奏を聴かせる場合も含む)を許諾することができる権利ですが、例外的に「少人数で非営利目的で聴く」などの場合には権利が制限される……これが、著作権法というフィルターを通してみた場合の「買ってきたCDを聴く」行為です。
 実際のCDで権利を持っているのは、作曲家だけではありません。作詞家と編曲家がいて、彼らはそれぞれに著作権を持っています。また、歌手や演奏家は実演家としての著作隣接権を持ちます。さらにCDの最初の録音を製作した会社も、レコード製作者としての著作隣接権(通称“原盤権”)を持つことになります。

プライスレスな権利

 民事法上の「権利」は、多くがお金に関係するものです。著作権も、やはりそうです。対価を設定するかどうかは権利者の自由なのですが、制度設計の上では、むしろ前提になっているといえるでしょう。
しかし著作という活動は、思想・信条と直結する面があり、お金に変えられない部分も持っています。この作用に注目して規定されているのが、著作者人格権というものです。
 著作権法では、3種類の権利を規定しています。

 例えば、公表するつもりがないのに勝手に公表されてしまったり、作者である自分とは別の名義で出されてしまっていたりした場合、これらの権利の侵害になります。
 また、これ以外に「権利が侵害されたものと見なす行為」として規定されているものの中に「名誉や声望を損なわれるような使われ方をされること」というものがあり、論者によってはこれを「名誉声望保持権」と呼んで、第4の著作者人格権であるとしています。規定を読んだだけでは広範すぎますが、例えば、描いた絵が風俗産業のポスターに断りもなく使われたような場合などが該当します。

 著作者人格権は「一身専属」の権利です。つまり、譲渡や放棄のできない権利ということです。たとえ著作権を譲渡した場合でも、著作者人格権は著者の元に残りますので、これらの侵害があったなら、それを差し止めたり損害賠償を請求したりできるのです。なお、一身専属であるため、存続期間も本人が生きている間だけです(ただし、亡くなったからといって侵害するような使い方が解禁されるわけではありません)。

 著作者人格権は、法人著作の場合も認められます。この場合、法人自身が権利の主体です。たいへん奇異な感じがしますが、法全般では、法人でも人格権を認める必要性があるため、その一般ルールが適用される形で、このようになっています。

 著作者人格権は、18条から20条までにまとめられています。こちらも、ひとつずつ見ていきましょう。

・公表権(18条)

 まだ公表されていない著作物か、著作者の同意のないまま公表されてしまった著作物は公表権の対象となり、無断で公表することが、公表権の侵害となります。  ただし、次の場合は「同意が推定」され、公表権侵害を主張することができません。

  • 1)著作権を譲渡した場合
  • 2)美術/写真の著作物で、原作品を譲渡した場合
  • 3)映画の著作物で、著作権が映画製作者に帰属する場合
  •       原作品による展示についてのみ、同意推定。

 なお、写真の著作物での「原作品」が何なのかは、法律でははっきり定義されていませんが、オリジナルのネガから印画紙に焼き付けられた物とするのが通説です。ただ、プロカメラマンの仕事の大半がデジタル化された現在では、新たな定義が必要でしょう。
 また、これ以外にも同条には各種情報公開法との調整を図る規定が盛り込まれています。というのも、日本法では官公庁も著作権の主体となることが認められているため、何の規定もないままだと、情報公開法に基づく開示命令を、著作者人格権を楯にとって拒絶することができてしまうからです。

・氏名表示権(19条)

 公開にあたって、氏名の表示を著作者自身で決められる権利です。表示するのもしないのも決められますし、表示する場合はどう表示するのかも決められます。この権利は二次著作物にも及びます。また、利用者は、その著作物と同じ表示を使用にあたって行うことができます。
 氏名表示権には、除外規定があります。「利用の目的及び態様に照らし」「著作者が創作者であることを主張する利益を害するおそれがない」場合、公正な慣行に反しなければ省略することができるとされています。
 なお、公表権同様、各種情報公開法との調整を図る規定が含まれています。

・同一性保持権(20条)

 著作物を、タイトルも含め、勝手に変更されない権利です。切除することも改変として扱われます。
これにも、除外規定があり、1:教科書として使用する場合の用字用語の変更、2:建築物の増改築・修繕・模様替え、3:ターゲット機種変更にともなうソフトウェアの移植、の3つの典型例を例示した上で、「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」について、許されるものとしています。

  ★「ときめきメモリアル」無断改変事件 

 著作者人格権の一身専属性は、具体的には、(1)譲渡できない、(2)著者の死去により消滅し相続されない、の2つの意味を持っています。
 (1)は、コンテンツ産業の局面ではやっかいな問題となります。「買い切り」条件で発注した仕事でも、先方の手元に著作者人格権は残ってしまうからです。実務的には、業務委託契約の中に「甲は、著作者人格権を主張しないものとする」といった条項を入れておくことで対処します。
 (2)は、あくまでも「財産権のようには」という限定付きの言明にすぎません。まず、著者の死後も、生存していたら著作者人格権侵害になるであろう行為を行った場合は、権利の侵害となります(第60条)。そしてこの侵害があった場合、遺族(配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹)による差し止め請求権や名誉回復請求権を、著者の死後70年間について認めています(第116条)。結果として、相続されたのと変わらない状態になるのです。

いつからいつまで?

 著作権は、著作をしたことによって発生します。発生は自動です。手続などはいりません。
 著作権の存続期間は、現在の規定では、著者の死後70年間(死亡から70年が経過した日の年末いっぱいまで権利が存続)です。“著者の死後”が該当しない場合の起算時は次のようになります。

●著者がはっきりしない場合:公表時から起算
 作者不明の他、ペンネームで作られた著作物などが該当します。「死後」を起算できないので、公表時から起算するのです。なお、ペンネームでも、それが誰なのか著名な場合や実名登録がされていた場合には、実名発表と同じ扱いになります。

●団体名義の場合:公表時(公表がされなかったりなどの場合は創作時)から起算
 会社などの組織も、条件を満たせば最初から著作者となることができます。原則公表時からの起算ですが、未公表のまま創作から70年たってしまった場合、創作時起算になります。

●著者がひとりではない場合:最後の一人が死去してから起算
 複数の人が共同で著作したもので、個々の要素が分離不可能な場合は、全員が亡くなった時点で起算します。

●「映画の著作物」と認められる場合:公開時(条件によっては創作時)から起算し70年間
 年数は他の著作物と同じなのですが、実際の扱いには注意が必要です。というのも、70年という有効期間がスタートしたのが、他の著作物よりも14年先行したからです。なお、創作時起算となる条件は、団体名義の場合と同じです。

 期間が終了すると、その著作物は「誰のものでもないもの」になります。つまり、誰もが自由に使えるということです。なお、著者が死亡したときに誰も相続人がいなかった場合も、同じです。こういう状態を、パブリック・ドメインといいます。近年、名作映画の廉価版DVDが広く売られていますが、パブリック・ドメインになった映画作品を利用して作られている製品です。

 著作権法は第17条2項で「著作者人格権及び著作権の享有には、いかなる方式の履行をも要しない」と規定しています。このように著作と同時に自動的に権利が発生する法制度を、無方式主義といいます。逆に、一定の方式をとらない限り権利が発生しない法制度を、方式主義といいます。かつて、ヨーロッパとその影響を受けた地域(アジア・アフリカ)は無方式主義、アメリカ合衆国とその影響を受けた地域(南北アメリカ大陸諸国)は方式主義という形で、世界の制度は二分されていました。例えばアメリカの場合、98年までは著作権表示を権利発生の必須要件としていました(よく見る“all right reserved”などの表記です)。現在では世界中が無方式主義にほぼ統一されていますが、随所に名残は残っています。
 保護期間の方は、依然として国ごとにまちまちです。全体としてみると、70年としている国と50年としている国が圧倒的に多く、それ以上の国もそれ以下の国も、数カ国しかありません。国数では、後者の方が多数派です。ただし、アメリカ合衆国とEU諸国が前者に含まれるため、影響力の大きさではそちらが優勢でした。日本はながらく50年としていたのですが、TPPの締結交渉の中、米国が延長を強く主張したため、それに応じる形で著作権法を「TPP条約の発効後は存続期間70年とする」という形で改正しました。結局アメリカは離脱してしまったので、この譲歩は意味のないものとなりましたが、それでも日本政府は方針を改めず、2018年に実施されたのです。

 保護期間の起算は、年単位です。起算原因となったのが何月何日でも、翌年1月を1年目として起算し、満70年となった時点で消滅します。
 なお、法改正によって保護期間の延長があった場合の対応は、改正のときに同時に決めるのが基本で、通則があるわけではありません。考え方としては、次の3通りが存在します。

  • 1)改正法が施行された以降に著作されたものについてのみ、新規定が適用
  • 2)改正法が施行された時点でまだ保護期間内のものについて、新規定が適用
  • 3)改正法の施行と同時に、それ以前に保護期間が満了したものについても、遡及して適用

 実際には、著作権法ではいつも2が採用されています。最近の改正でいうと、2018年時点で著作権が存続している場合は、そのまま新規定が適用されるということです。なので、例えば1967年に亡くなった壺井栄の場合、2017年末をもって著作権は切れているのですが、その翌年に亡くなった子母澤寛の場合は、2038年まで権利が存続します。こんにち、私たちは、江戸川乱歩・谷崎潤一郎(ともに1965年没)といった大御所の作品を青空文庫で自由に読むことができるのですが、三島由紀夫(1970年没)や川端康成(1972年没)といった人の場合ですと、当分はお預けということになります。
 映画の場合、これが2004年にありました。1953年に公開された映画の著作権は2003年いっぱいで保護期間満了となったのに対し、1954年公開の映画は2024年末まで保護期間が存続します。1953年という年は映画の当たり年として知られていたため(『ローマの休日』『シェーン』など)、権利存続を主張した映画会社と、権利消滅を前提に廉価版DVDを販売していた業者との間で裁判も起こりましたが(これを『1953年問題』と言いました)、権利消滅ということで法的に決着がついています。

 保護期間の始まりは、法人著作や非顕名著作の場合に問題になります。未完成のままで公開し(予定外の)続編で完結させるようなことは、アニメなどで実際によく行われます。また、連続しての長期連載ではなく、中断期間を挟んで断続的に作られていくことも、問題になります。
 実際には具体的な作品ごとの判断になりますが、基本的には、長期連載なら最終回の公開時が該当し、シリーズ作品であれば各シリーズごとに個別に計算することになります。4コマ漫画の場合、連載第一回が第一シリーズの最終回ということになります。(ただし、作者が個人名で公開した作品の場合、起算点は『死後』となるため、これらに該当するのは、法人著作となる場合など、限られた類型になりますが)

  ★「ポパイ」ネクタイ事件

 1953年問題とは 「2003年末をもって著作権が消滅する」と言われたら、ふつうは2004年1月1日をもって解禁と思うでしょう。ところが、「その場合でも、2004年12月31日までは著作権が存続する」という法解釈があったのです。その根拠は、2003年末と2004年が“密着”しているということ。2003年がいつまで続くのかというと、12月31日23時59分59秒…となるわけですが、これと2004年1月1日0時0分0秒は密着=隙間がなく、同じ瞬間となります。ゆえに2004年1月1日時点で著作権はまだ残っていて、完全に切れるのはその1年後になるということです。「屁理屈とは何か」の見本のような主張ですが、これが文化庁の公式解釈で、同庁作成の一般向け教科書にもそう書かれていました。
 もう繰り返すことのない問題ですが、法律専門家という人種がどういう発想をするのかの好例だと思ったので、紹介してみました。

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