みんなの著作権―オンライン専用版―
第2部 じっくり編
3.何が著作物なのか

みんなの著作権 第2部 3章 著作権の客体

▶著作権は、かなり強力な権利です。しかも、取得はたいへん簡単です。とはいえ、創作されたものの全てが「著作物」となるわけではありませんし、著作物の中に含まれる要素も、それ単体で著作権が主張できるとは限りません。
▶この章では、著作権になるものとならないものを見極めていきます。

著作物の例

 著作という行為は、一見改まったものであるような印象がありますが、著作権の守備範囲はたいへん広く、およそ「創る」行為であれば、まず著作として扱われます。
 条文には、具体的な著作物の例示があります。そのまま挙げてみましょう。

 高級な営みかどうかは問題ではありません。例えば、酔っぱらって、即興で変な踊りをつけながら絵描き歌を作り、ふすまに落書きを描いたとします。この踊りは著作物ですし、作った歌も著作物です。そしてふすまに描かれた落書きもそうです。それぞれ「舞踊」「音楽」「美術」の著作物になるのです。さらにこのバカ騒ぎを写真にとった人がいれば、その写真も著作物になります。作り手が真剣だったかとか上手いかとかは、関係ありません。
 なお、これらは例示ですので、ここにないものが排除されるわけではありませんし、著作権の別の場所で定義されている著作物類型もあります。

 この類型はある程度典型的なものが並んでいる訳ですが、それでも一般人の感覚とは少しずれる場合があるでしょう。少し補足します。

舞踊の著作物:

 これはバレエの振り付けのような誰もが芸術と認めるものだけが該当するわけではありません。アイドルの歌にあわせた振り付けも、よほど陳腐なものでない限り、ここに該当します。そのため、動きを無断でゲームなどに使うと、著作権侵害になる可能性があります。また同じ懸念は、プロレスの技にも言えます。かつて競技だと信じられていた時代もありましたが、こんにちでは演劇に近いエンターテインメントというのが社会常識だからです。

建築の著作物:

 建築は工業的な造形ですが、伝統的に芸術の一つとして扱われているため、著作権の対象です。ただし、建築であれば何でも著作物になるのではなく、権利として守るだけの著作性を持ったものだけが対象です。現実問題として、ワンオフで作られるランドマーク的なものに限られてくるでしょう。

  ★グルニエ・ダイン事件

写真の著作物:

 著作者は、写真家です。有名モデルであろうが大女優であろうが、被写体は著作者ではありません。ただ、写真が著作物として認められるためには、次項以下で述べるような意味で、著作性がなければなりません。防犯カメラの画像や証明書用のインスタント写真は誰も著作をしていませんから著作物ではありませんし、美的な意図が全くないまま写しただけの写真も、たとえ人がシャッターを押したのだとしても、著作物にはなりません。

著作物にならないもの

 「著作物とは何か」については、著作権法の冒頭で定義されています。

「思想または感情を創作的に表現したもので、文芸、学術、美術、音楽の範囲に属するもの」

 これに該当しなければ著作物ではないということです。
 ただ、こんなものを突きつけられても、判断に困りますね。むしろ「これは著作にならないもの」を示した方がわかりやすいでしょう。
 まず、工業に属するものは、著作物になりません。例えば機械の設計とか発明・発見などです。描かれた設計図は著作物になりますし、発明・発見を発表するときに書かれる論文あるいは開発ノートの類も著作物ですが、設計や発明それ自体は著作ではありません。
 次に、一般的な意味でのデザインも、著作物になりません。例えば、グラフィックデザイン、インダストリアルデザイン、ファッションデザインなどです。これらはひっくるめて「応用美術」と呼ぶのですが、日本の著作権法では、応用美術は「美術の著作物」から除外することになっています(ただし、美術工芸品だけは例外的に著作物に含みます)。
 変わったところでは、言語や文字。「独占されてしまうと、それを使って行う表現そのものに独占的支配権が及んでしまう」という理由から、著作物になることが否定されています。CやJAVAなどプログラミング言語体系は、優秀なソフトウェア工学者によって創作的に設計されているのですが、著作物ではないのです。なお文字の場合、装飾性が高いユニークなフォントなら、著作物になる場合もあります。
 なお、発明やデザインは、それぞれ「特許」「意匠」という形で、著作権とは異なる権利の対象になります。

  ★ゴナ書体事件

 第2条に定義規定があり、条文内で使われるいろいろな用語について定義しています。著作物に関する定義も、ここにあります。

第2条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

 裁判で著作性が否定されるときは、この定義規定が引用された上で、「……に該当しないから、これは著作物ではない」というように判示されます。ただ、実際にその通りの順番で検討したと考えると、誤解の元です。

 ここでデザインが除外されることに、デザイナーとしては不満があるかもしれません。“デザインというのはじゅうぶんに芸術的な行為である。なのに、プログラムやデータベースまで含まれるのに、なぜ除外されなければならないのか……”という意見は、もっともな話です。ただ、著作物になるかならないかは、カテゴリーによって決まる訳ではありません。「デザインという名のつく物は、およそ著作物にはなりえない」と言っているわけではなく、著作権法上で著作物として認められる境界線の外側にある造形行為をデザインと呼ぶ場合が多い事実を反映しているに過ぎないのです。実際、下級審の裁判例では、椅子のデザインの著作性を認めた例があります。
 著作物としての保護されるためには、それに値するだけの著作性を持っていることが必要です。実際データベース著作物はその要件を満たすことが難しいため、裁判でも認められない場合が大半です。

著作権が発生しないもの

 法律などは、それ自体は著作物ですが、著作権が発生しないとされています。具体的には、次のようなものです。

 ようは「役所が作った法律や規則」ということですが、ここに含まれなければ、役所が作ったものでも、著作権は発生します。例えば経済白書や防衛白書などは、それぞれの官公庁が著作権を持つ著作物です。

 法律や判例には著作権はありません。とはいえ「六法全書」あるいは「判例集」として売られている出版物を無断で複製できるということではありません(それらは民間人によって編集されています)。法律は、国が発行する「官報」という冊子に掲載されますし、Web上でも公開されます。判例・裁判例は、裁判所のWebで検索することができます。こうした一次資料については、自由に使用することができます。
 官公庁作成文書にも著作権があるということは、情報公開の視点からは障害となります。行政機関自身が著作者人格権に基づいて公表を拒絶できることになってしまうからです。条文には細かい調整規定が入っていて(そのせいで、同条は極めて読みづらい凶悪な文章になっています)、一般的に「官公庁が持つ文書については、著作者人格権は主張できない」といえます。
 なお、官公庁の発行した著作物は、その公共性の高さから、転載(=そのままの形で出版物等に載せること)が一般的に認められています。ただしこれは一般ルールなので、著作者である官公庁の側が個別に除外をかけることが可能です。その場合「禁転載」と明記されることになります。

著作性が認められないもの

 条文に書かれている「文芸」や「美術」などは、そう厳密に判断されているわけではありません。マンガやゲームなど、条文の字義どおりに考えるとモノによってはかなり微妙なところもあるのですが、この点で否定的な判決というのは出ていません。
 著作性が否定される実際のケースは、作品カテゴリーではなく、否定される一般的理由との関係で判断されています。
 第1に、規模や質の点で、著作性が認められない場合があります。あまりに短すぎる文字列や、誰が書いても同じになるようなありふれた表現に過ぎない場合は、著作性が認められません。作品のタイトルやキャラクター名などは、この理由から著作性が否定されます。また、新聞記事の見出しなども同じです。
 第2に、それが「表現される前」のものに過ぎない場合は、著作性が認められません。著作権は「表現されたもの」を守る権利です。例えば小説が書かれるとき、テーマ→アイデア→プロット→実際の文章という段階で作られていきますが、この中で著作物となるのはあくまでも「実際の文章」部分です。テーマやアイデアなどは保護されないのです。絵画における構図、映画などの演出、プログラムでのアルゴリズム、こういったものも同じで、表現される前のものに過ぎないため、保護の対象になりません。
 第3に、「表現される対象」である場合も、著作性は認められません。つまり、事実を伝える記事での「書かれている事実」そのものなどです。新聞はいろいろな事件を伝えています。記事は記者が書いた著作物ですが、だからといって事件そのものにまで権利が及ぶ訳はありません。
 また、そもそも創作されていないものには、著作性はありません。植物や動物などは、例え所有者が慎重に育てたとしても創作ではありませんから、著作権も認められません。


この点で否定的な判決 大正時代には、浪曲レコードの複製をめぐる裁判を巡って、「浪花節は寝言や狂人の談話と同じで『審美的思想より生じる精神的産出物』ではないから著作物ではない」とする専門家の主張がありました(桃中軒雲右衛門事件;判決でも著作権が否定されましたが、理由は違います)。今の最高裁がこんなことを言い出したら、メディア産業は壊滅ですね。

 著作性の有無は、個別の要件の適否と言うよりは「それは法で保護すべき著作性を持つ表現なのか」という視点から判断されていきます。著作性自体が保護に値しない程度のものである場合や、そもそも“表現”でない場合には、対象にはなりません。
 規模や質の点については、短さそれ自体が否定要因にはなるわけではありません。ただ、短すぎるものやありふれたものは、保護に値しない程度のものである可能性が高いと言うことです。実際の裁判では、古文の暗記用語呂合わせや交通安全標語といったものに著作性が認められています。一方で、新聞社がWeb版のために作った記事のリードについて著作性が否定された場合もあります。費用がかかっているという点ではこちらの方がだんぜん高いですし、文字数も標語よりは多いのですが、「事件を端的に伝えるものである以上、誰が書いても似通ってくる」ことから否定されています。

  ★YOL見出し複製事件

 著者は、何かを表現したくて本を書きます。つまり伝えたいのは「内容」です。しかし、著作権が保護するのは「表現」であり、内容ではありません。主張できない権利を主張している人は、このあたりの思惑のずれがあるように思われます。
 例えば画期的なトレーニング理論を考え、それに基づいて本を書いたとします。そのトレーニング理論書の著作権は存在しますが、書かれている理論がそれによって保護されるわけではありません。同じ理論を別の人が本に書いたり、あるいはその理論に基づくトレーニング機器を開発したりしても、著作権にもとづいての抗議はできません。そういう法的な保護を得たい人は、特許を取得する必要があるのです。

  ★初動負荷事件
  ★楓の木事件

なぜ限定されるのか

 著者としては、自分の権利をなるべく広くとりたいと思うのが当然です。しかし、権利の裏側には義務があることも忘れてはいけません。著作者の権利が拡大すれば、その分利用者の義務も拡大するのです。対世効があるということは、自分のあずかり知らないところで義務が増えていってしまうということでもあります。
 もしアイデアに著作権が主張できるとしたら、どんなことが起こるでしょうか。
 例えばゲームソフト。恋愛シミュレーションというジャンルは、90年代にパソコンゲームとして登場しました。もしアイデアが著作権の対象だったら、最初に開発したメーカーの許諾がない限り、同種のゲームは出せないということになり、そもそもジャンルとして確立されることもなかったでしょう。また、ストーリー一般でも「早い者勝ち」状態が出現し、後発の作り手はあっという間にがんじがらめにされてしまいます。
 現実の裁判になった例もあります。とある映画監督の遺族が「代表作の演出を真似された」として、ドラマを作ったテレビ局や脚本家を訴えたことがあるのです。このケースで原告側は、ストーリー構成の他、キャラクターの造形、カット割りやカメラワークなどに対しても、著作性を主張しました。この監督は創作者として大きな影響力を持っていて、さまざまな映像技法の発信者ともなっています。もし遺族のこの主張が通っていたら、彼らに大金を支払わない限り、ドラマ類はいっさい作れないことになってしまったことでしょう。
 法には、目的があります。著作権法も「文化的所産の公正な利用に留意しながら著作者等の権利の保護を図り、文化の発展に寄与する」という目的を条文の中でうたいあげています。目的の中心にあるのは「文化の発展」で、著作者に独占権を与えることは、そのための手段に過ぎないのです。権利の徹底が逆に文化の発展を損ねてしまうのなら、手段として不適切なことは言うまでもありません。強い権利であるがゆえに、その行使は相対的でなければならないのです。

 盗作騒動は頻繁に発生します。ネット上の話題に過ぎない場合から裁判に訴えられる場合まで、大小様々です。そして、一般メディアにもよく取り上げられ、これがフィードバックして騒動がさらに大きくなったりもします。ただ、騒いでいる人たちは、モラルの問題と法律の問題の区別が、必ずしもできているわけではありません。盗作はモラルの問題です。ただ、モラルにもとるからといって必ず違法になる訳ではないのです。
 どんな分野であっても言えることですが、傑作・名作はいろいろな人に観られます。当然、その分野に与える影響も大きいでしょう。そもそも用いられている技法が効果的だから傑作なのであり、そうした要素は当然研究され、新しい作品に反映されていきます。これが分野全体として活発に行われることで、作品カテゴリーの水準も底上げされていくでしょう。ただ行き過ぎた、元の作者をないがしろにしたようなまねは、モラルに反した剽窃行為として、コミュニティから批難や嘲笑を受けることになります。著作権法が前提にしているのは、こういう視点です。これを守ることで、著作物が活発に登場してくる社会を実現し、文化の向上を図ることが、法の目的になっています。

  ★大河ドラマ「武蔵」事件

 いわゆる盗作が法的に問題になる場合、翻案権(27条、28条)の侵害という法構成がとられます。「作品Bは、私の作った作品Aを無断で翻案したものであるから、27条の権利を侵害している」ということです。
 これが成立するためには、主観的な要件も必要です。つまり、Bの作者が意図的に参照して作ったということで、そういう意図がなく結果として似てしまっただけなら、翻案権侵害は成立しません。実際の裁判では、Aの作者は、Bの作者が「作品Aを知っていた」ことを証明しなければなりません。

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