著作権法には、この著作隣接権と出版権という、“著作権とは異なる権利”が定められていますが、私は両者の本質を「準著作権と抗著作権」と考えています。
著作権というのは大変強力な権利で、著作権者がそれを自由気ままに行使すると、組んで仕事をする人は振り回されてしまいます。そこで、一定の人たちに、著作権に対抗できる権利=抗著作権を与える必要性がでてきます。
そして、厳密に言えば著作ではないものの、それに準じるような権利が準著作権です。例えばCDを買うとき、作曲家を気にするでしょうか? クラシックならともかく、普通は歌手なりバンドなりの名前がフックになりますね。これらの人に対しても、著作者に準じた形で報いることは重要でしょう。
条文では、第89条から第104条までが割り当てられています。条文数は決して多くはないのですが、読む対象としては悪夢のような代物です。条文数だけによる引用が続くばかりか、権利のある場合と除外される場合が複雑に入り組んでいます。
これは、それだけ権利調整がやっかいな部分であることを示しています。体系の中心部に位置する権利であれば、どっかりと腰を落ち着けていても大丈夫です。しかし周辺部にある権利は、ともすれば他の権利とのバッティングを引き起こします。作曲家が作った音楽を演奏するのが実演家であり、それを録音して量産するのがレコード製作者、そのレコードをオンエアするのが放送事業者となります。いわば、流れの下流の方になってくるわけで、振り回される度合いも大きいのです。
混乱を防ぐためには、立ち位置をはっきりして―何が主語で何が目的語なのかを理解して―読むようにするといいでしょう。
みんなの著作権 第2部 第7章 著作隣接権、出版権
▶ここでは、わかりやすさを優先して説明していきます。
著作隣接権
著作権法は、著作隣接権という権利を定めています。対象となるのは、実演家、放送事業者(&有線放送事業者)、レコード製作者です。
これらの人を一言でまとめれば、「著作者に近い立場にある関係者」といえるでしょう。
実演家は、演奏家、歌手、俳優、ダンサー、指揮者、演出家などです。この人たちが、商品価値の大きな部分を担当していることは確かでしょう。例えばCDを買うとき、クラシック音楽などでもない限り、作曲家よりはミュージシャンを意識するはずですね。著作権そのものには該当しないにしても、何らかの権利の主体としての立場を与えられることは、バランス上重要だと言えます。
放送事業者の定義は「業として放送を行う者」とされています。いわゆる放送局が中心ですが、反復・継続していれば「業として」に該当するため、コミュニティ放送の類も含まれます。放送事業者は、番組を制作して放送しています。ここに一定の権利が守られないことには事業そのものが成り立たなくなるわけで、法で保護する必要性もあります。
レコード製作者は、音楽を最初に録音(=原盤を作成)した人です。元々、レコード原盤の作成は大がかりな装置を必要とするもので、レコード会社は多額の資金を投じて行っていたため、これを回収する上で、著作者と同じような直接的な権利が認められる必要性がありました。また、もうひとつの側面として、「著作者に対抗する」必要性もあります。レコード会社は、ある面では音楽家と利害が対立する存在です。この状況で、著作権者だけに絶大な権利を与えていたのではバランス的に問題があることから、レコード会社にも対抗できるだけの力が求められるのです。
隣接するという意味ではひとまとめですが、「どの側面に隣接しているのか」は三者三様です。そのため、著作権法上の規定も、それぞれ別個に決められています。
著作隣接権の存続期間は70年間です。ただし、起算は著作権の規定とは異なり、実演や放送はそれを行ったとき、レコードは音を最初に固定した時になります。
実演家の権利
実演家の権利は、著作者のそれと比較的近いものです。人格権(実演家人格権)と財産権の両面があります。
実演家人格権としては、氏名表示権と同一性保持権が認められています。権利の内容も、著作者人格権と似通っています。「実演家の利益を害するおそれがない」「公正な慣習に合致する」場合には氏名省略が許されます。また、同一性保持を主張できるのは「名誉声望を害するような改変」で、なおかつ「やむをえない」「公正な慣行に反しない」に該当しない場合のみです。
財産権では、著作権同様に、“することを認める/認めない”を選べる=許諾権を持つものと、単に報酬を請求できるだけのものとがあります。
許諾権の対象となる権利には、「録音権・録画権」、「放送権」、「送信可能化権」、「譲渡権」、「貸与権(1年目)」があります。生の実演、レコードに録音された実演、映画の著作物に記録された実演のそれぞれが対象になりますが、どのように権利が主張できるのかは、それぞれの権利ごとに異なります。かなり込み入った規定なので、別のページでくわしく説明します。
報酬請求権だけがあるものは、レコードに録音された実演を対象に、次の3通りがあります。
- 1)放送された場合の使用料請求権
- 2)レンタルされた場合の使用料請求権(2年目以降)
- 3)有線放送で再放送した場合の使用料請求権
1と2で対象になるのは、市販CDだけです。2は、1年目は「貸与権」として働きます。逆に言えば、市販CDをレンタルしたい場合、発売後1年間は実演家の許諾がないとできませんが、それ以降は許諾不要(ただし使用料は払う必要あり)ということです。3は、生の実演が含まれる放送が対象で、非営利・無償で行われている場合は除外されます。なお、「放送の、非営利・無償での有線放送による同時再送信」が除外されるのは、1・2も同じです。これは、難視聴対策として行われている共同受信などが該当します。
実演および実演家は、第2条1項の中で定義されています。
四 実演家 俳優、舞踊家、演奏家、歌手その他実演を行なう者及び実演を指揮し、又は演出する者をいう。
3号で定義した実演を行ったり指揮・演出をする人が実演家ということです。ここにある「著作物を演じないが芸能的な性質を有するもの」は、手品師や曲芸師など、実演家として認めなければ不適切な人たちをカバーするために付け加えられているものです。
また、芸能的な性質というのは、競技的な性質のものを排除する意味でもあります。野球やサッカーなど、スター選手には独特の動きで観客を魅了する人もいますが、それらは実演ではありません。
競技によっては、どっちつかずにもなります。例えばフィギュアスケートの選手は、採点競技をしている時点ではスポーツ競技者ですが、最終日に入賞者によって行われるエキシビジョンの時点では実演家でしょう。また、プロレスの技が著作物になるかは疑問の残るところですが、彼らを実演家ととらえることは問題ないと思います。これは裁判の中で主張された例があります(判決には関係しませんでした)。
実演家の許諾の詳細
実演家の許諾権はかなり込み入った規定になっているため、条文を読んでもなかなか意味がわかりません。
対象となる実演には、(1)生の実演、(2)レコードに録音された実演、(3)映画の著作物に記録された実演の3通りがあります。具体的に見てみましょう。
・録音権・録画権:
実演を、録音や録画できる権利です。(1)はCD作成のための演奏、(2)は演奏が入ったCDの量産や複製を想定すればいいでしょう。(3)は映画音楽のための演奏などが典型的です。
・放送権:
実演を放送できる権利です。(1)は“紅白”のような歌番組を、(2)はラジオの音楽番組のようなものを想定してください。(3)は映画がテレビ公開されている状態が典型ですが、「映画の著作物」は劇映画には限らないので、注意が必要です。ドキュメンタリーや特集など、テレビで放送されるものには「映画の著作物」に該当するものが少なくありません。
・送信可能化権:
サーバーなどにアップロードして送信可能な状態にすることをいいます。著作権では放送も含んだ概念ですが、隣接権では別個の権利です。(1)はストリーミングが該当します。(2)や(3)はCDやDVDをリッピングしてアップロードしているような場合です。
これらの場合、実演家は許諾権を行使できます。しかし、(2)については、送信可能化権以外では「作成時に実演家の了解を得て作られている場合」が除外されることになっています。“実演家に無断で作成したCD”というのは、海賊版を除いてちょっと考えられませんから、実質的に、送信可能化権だけに許諾権があると言えるでしょう。
(3)の場合も、同様の規定があります。ただ映画の著作物にはテレビ番組の多くが含まれるため、該当するケースも少なくありません。著作権は一定の場合に制限されますが、「放送目的での一時的固定」が適用されることから、テレビ番組では特に断らないまま楽曲を使用することが、よく行われているのです。このような場合、再放送やオンデマンド配信などは、実演家に無許諾で行うことはできません。
なお、映画音楽は、映画の中で使われる分には映画の一部ですが、サントラ盤のような楽曲だけを抜き出して使われる場合では、ここでいう(2)と同じ扱いになります。
実演家の権利は、一見すると著作者と似ていますが、大きく異なる点があります。著作者の権利は二次利用以降にもずっと及ぶのですが、実演家の権利は多くの場合一度しか主張できないと言うことです。例えば、実演の録画を許諾した場合、その録画されたものが放送されることには許諾権はありません。
このようなあり方を「ワンチャンス主義」と言います。許諾に当たって条件をつけるチャンスがその一回きりであることからくる呼び名です。
放送事業者の権利
放送は、同一の内容が同時に受信されることを目的として行う送信のことです。著作権では「公衆送信」としてまとめて論じますが、著作隣接権では分けて考えるため、インターネットでのストリーミング放送は、これには含まれません。
放送事業者の権利の性質は、“準著作者”的です。テレビ番組には「映画の著作物」に該当するものがあり、これはそのまま著作権として守ることができます。しかし、放送される番組は、そればかりではありません。例えばスポーツ中継やニュースなどだと、著作物の条件には当てはまらないでしょう。とはいえ、これらの番組制作でも、必要とされるスキルはクリエイターのそれと変わりません。また使用する放送設備は同じですし、取材網も高コストです。さらに、高額な放映権料を競技主催者に支払ったりもしているもので、全く権利の外におかれたのでは不適切といえます。そこで、著作隣接権を認めることで、このバランスをとっているのです。
放送事業者の、著作隣接権の内容としての権利は、次のようになります。
・複製権:
放送した内容を録音/録画したり、画像を静止画として保存したりする権利です。録画されたものを複製する場合にも適用されます。
・再放送権、有線放送権:
著作権法では、受信した放送をリアルタイムでそのまま放送し直すことを再放送といいます。再放送権はこれに関する権利です。
・送信可能化権:
放送を受信して映像データに変換、ネットワーク上のサーバーにアップロードする権利です。
・伝達権:
パブリック・ビューイング(大型のテレビやスクリーンにテレビ放送を映す行為)を行う権利です。
これらは許諾権なので、放送事業者は好きなように許可/不許可を出せますし、また対価の設定も自由です。通常の民間テレビ放送は無料で放映されていますが、だからといって無断で再利用してもいいわけではなく、私的利用などに該当しない場合は、権利者の許諾が必要なのです。
放送は、ビジネスとしてみるとかなり複雑です。
まず、投じられる金額が巨大であると言うこと。そして、にも関わらず無料モデルであるということ。ここから、「いいものを作ってたくさん売る」という、製造業的なスタンスはとれないことになります。一方ユーザーには「テレビ放送は無料」と思われているため、気軽な気持ちで無断利用をされてしまいます。また、権利関係がとにかくめんどうです。長い放送時間を埋めるためには、垂直的な自社製作は無理で、他者の作った著作物を放映したり、制作を外部に委託したりといったことが必要になります。そして歌番組のように、多数の権利者(作詞家、作曲家、実演家、振付師……)が入り乱れる宿命を持った番組カテゴリーも存在します。他、許認可の問題もあります。電波の特定帯域を独占使用するということから、放送局は地域ごと(県の他、広域圏という単位があります)に認可を受け、定期的に免許の更新をする義務があります。このことから、政官界とのつながりも強くならざるをえず、“大人の事情”があれこれと入り込んできます。
にも関わらず、著作権が想定している放送局のスタイルは、いうなれば“パイプ”です。著作者と利用者の間に電波を持って立っている媒介者程度に過ぎません。実は商業テレビ放送の開始はVTRの開発よりも前で、初期にはドラマですら生放送で演じられていました。著作権法が描く放送局は、この時代に構築されたのでしょう。放送に関する著作権を理解するためには、制度の前提と実際のビジネスの両面を見極めなければなりません。
近年の問題として、個人レベルで行うテレビ放送の自動送信があります。
これは、受信した放送電波を自動的にパケットにしてインターネット上に送信する装置を使って、遠隔地でテレビを視聴するというもの。この行為自体は、個人で行う分には公衆送信権の侵害にはなりません。なぜなら、そもそも「公衆」でないからです。そこで、ユーザーの持つ親機を預かるビジネスや、それを発展させた多機能親機を提供するビジネスが、ベンチャー企業によって展開されました。ところがこれを、公衆送信権の侵害にあたるとして、放送局が訴えたのです。
この裁判は、一審・二審と放送局側の敗訴でした。局側は、「機械の場所を提供している以上、無断での送信を管理している主体はユーザーではなく業者であり、ゆえに公衆送信に該当するから権利の侵害である」という主張を行いましたが、二審の知財高裁では、「行為を行っているのがユーザーである以上、公衆送信にはならない」旨判示しました。ところが最高裁は一転して違法であるという判断を下しています。
ただ、これが大がかりな裁判になる裏側には、これが放送のビジネスモデルを揺るがしかねないという事情があります。しかし、彼らの権利が尊重された結果、私たち視聴者には、また一つ守らなければならない義務が増えてしまいました。放送局としては、必死になって既得権を守ろうとするのではなく、どうしたら新しい時代に対応できるのかを考えて欲しいものだと思います。
レコード製作者の権利
著作権法では、特に断っていない限り、量産する直前段階の音源(=原盤)のことをレコードといいます。これを作った人が“最初の録音を行った者”で、著作隣接権における「レコード製作者」です。なお、量産後のレコード(CD)などは、「商業用レコード」といいます。
レコード製作者の権利は、実演家との対比で考えると、理解しやすいものです。
まず、人格権はありません。そして財産権ですが、実演家にとってレコードに関して存在する権利が、レコード製作者にとっても権利として存在します。具体的には、許諾権としての複製権(実演家では録音権の一部)、送信可能化権、譲渡権、貸与権(1年間)です。そして、(1)放送および有線放送で再放送された場合の使用料請求権と、レンタルされた場合の使用料請求権(2年目以降)が、許諾権のない請求権として存在します。
複製権を中心としたレコード製作者の権利は、音楽業界では「原盤権」と呼び、非常に重要なものとなっています。
これは、著作者や実演家の権利とは別に存在する独立した権利です。原盤権があれば、著作者たちの許可をとるまでもなく、商業用レコードを生産することができます。レンタルや放送の使用料も得られます。そして、権利自体を売ったり譲ったりすることができます。ミュージシャンはしばしばレコード会社を移籍しますが、原盤権まで自動的に移動するわけではなく、当事者間で特別の合意がない限り元のまま残ります。そのため、移籍後に前の所属レーベルからベスト盤が出たりするわけです。
原盤権は、かつてはレコード会社が持つものでした。制作環境が多様化し、レーベルとレコード会社の分離といったことも進んだ結果、こんにちでは原盤権のあり方も多様なものになっています。ミュージシャンの所属する音楽事務所や音楽著作権管理会社†が持つ場合もありますし、本人が持つ場合もあります。
なお、隣接権ではないのですが、同じように権利として働くものに、外国向けレコードの逆輸入を差し止められる権利があります。2005年の改訂で、権利者の側が日本国内販売禁止を指定したレコードについては、日本国内での輸入を「侵害とみなす行為」とされたことによるものです。これは通称「レコード輸入権」とも呼ばれ、レコード会社の他、著作権者も行使することができます。
† 音楽著作権管理会社 著作権法上は「音楽出版者」と言います。別に出版をしている訳ではありませんが、歴史的経緯からこういう名称で呼ばれています。プロの作詞家・作曲家のほとんどが、いずれかの音楽出版者と、著作権譲渡契約を結んでいます。
原盤権の性質は「抗著作権」となります。レコード会社は多額の投資を行って原盤を作るわけですが、その販売の可否が著作者の一存で左右されてしまうのでは、経営上の大きなリスクとなりかねません。そこでこのような強力な権利を与え、著作権者に対抗、また独自のマネタイズもできるようになっているのです。
とはいうものの、現代という時代に、ここまで強力な物権的権利が必要かどうかは、議論の余地があります。
レコード盤の時代、原盤を作るというのはたいへんなことでした。レコードは、物理的にはポリ塩化ビニールの円盤です。溶けた材料を型に流し込んで量産するのですが、ごく細い溝の極めて微妙な凹凸によって音が記録されるわけで、最高品質の技術が求められます。また、収録そのものも大がかりです。大規模なスタジオを使って、高品質な機材で録音していたのです。そのような時代の音源は、映画のネガフィルムにも匹敵する、投資の結晶といえるものだったことでしょう。
ところが現在では、こんなやり方はとっていません。もちろん録音スタジオは必要ですが、そこからアウトプットされるのは、デジタルのデータです。プレスされるCD盤は、パソコン雑誌に付録でついているものと物理的には同じです。そして、それすらも作らないダウンロード販売が、すでに主流になっています。
技術の進歩は、いろいろなものを標準化しました。こんな時代、音楽とそれ以外を峻別する必要は少なくなっています。なのに、依然として著作権法は、音楽の媒体を特別扱いしています。権利の名称は未だに「レコード」であり「原盤」であるのです。
黒いレコード盤を見たことのない世代にとって、著作権法のこのあたりの規定は違和感を感じることでしょう。それは正当なものです。ただ現時点では、レコード盤を引きずった仕組みが残っていますので、これを理解する必要があります。
出版権
出版権は、出版社が持つ、特定の著作物を文書または図画として出版できる権利です。著作者との間に出版契約を結んだ場合に発生しますが、契約上の権利ではなく、所有権と同じような対世効のある権利です。
これがある理由は、著作者の強力な権利に対抗するためです。例えば著作者が、ある日突然「あんたの会社からは原稿を引き揚げ、ライバル社から出版する」などと言い出したらどうでしょうか。著作権が独占的な権利である以上、こういう主張もできてしまいます。しかしこれでは出版社は困ってしまうでしょう。そこで、このような場合も出版し続けることができる法的な根拠として、この権利があるのです。
出版権の内容は、契約で決めることができます。特に決めなかった場合のために、条文の中に具体的に書かれています。
- ・著作権者は、出版後3年が経過すれば、全集や文庫などの形で他での出版ができる。
- ・出版社は、原稿の引渡後6ヶ月以内に出版を行い、慣行に従って出版し続けなければならない。
- ・出版権の期間は、最初の出版から3年間で消滅する。
出版権は著作権と同様に対世効のある権利ですので、契約を結んだ当事者以外に対しても効果を持ちます。上記のようなトラブルは、著作者との間では契約で防げますが、契約の効果は第三者に対しておよばないため、利害が衝突した第三者(例えば、著者が無断で原稿を渡した他の出版社など)に強制力を持たせることはできません。あらかじめ出版権を登録しておくことが必要です。
出版権も譲渡することは可能ですが、著作権者の許諾が必要です。
なお、著作権ビジネスでは、これと同じあるいはよく似た言葉が、使われる場合があります。
たとえば、いわゆる「版権」。“版権ビジネス”などといいますが、この場合は別に出版権の略称として言っているわけではなく、著作権そのものの別名として使われています。また、音楽業界でも、著作権そのものの別名として「出版権」という言葉を使う場合があります。
たいへんまぎらわしいのですが、文脈から判断して使い分けるしかありません。
出版権の設定について、法は次のように定めています。
2 複製権者は、その複製権を目的とする質権が設定されているときは、当該質権を有する者の承諾を得た場合に限り、出版権を設定することができるものとする。
つまり、これを発生させるためには「出版権の設定行為」が必要だということです。これは、実際には契約となります。出版権においても、登録は発生の要件ではなく、第三者に対する対抗要件にとどまります。出版権設定契約は、出版許諾契約とは別のものです。ただ実務的には、出版許諾契約書の中の条項として、出版権の設定も書かれる場合が多いでしょう。
問題になるのは、契約書が作られなかった場合の扱いです。日本法では、契約は当事者の合意だけで成立します。作家と担当編集者の間で出版することを前提としたやりとりがある程度続けば、どこかの時点で出版許諾契約が成立したことになるのです。このとき、出版権設定行為たる契約も行われたといえるのかが問題になりますが、裁判例では否定的です。とはいえ、当事者が出版権の存在をはっきり認識した上で口頭による合意によって契約しているのなら、それは有効になります。
制度設計上は、出版という業態の死脈を決する重要な権利のように見える出版権ですが、実務的にはそこまでの特別な扱いはされていないというのが現状でしょう。こんにちでは、たいてい成文化された契約書が取り交わされているため、そこに盛り込まれる債権的な権利義務でほとんどの問題がカバーできるからです。とはいえ、著作権ビジネスの多様化・国際化を考えれば、しっかり対応しておいた方がいいでしょう。
その他の知的財産権
著作権をはじめとした、知的活動の結果作られる財産権を、「知的財産権」(略して知財)といいます。
著作権以外の主な知財には、次の4つがあります。
- ○特許:発明に対して与えられる独占権です。
- ○実用新案:発明よりも少し程度の低い“工夫”に与えられる独占権です。
- ○商標:ブランドや商品名に対して設定できる権利です。同じ商品区分中での類似商標を排除することができます。
- ○意匠:デザインに対して設定できる権利です。類似したデザインを排除することができます。
これらは、著作権とはかなり違った扱いになります。
- 1)特許庁に登録申請し、認められた場合に権利が発生する
- 2)権利の存続期間が短い
- 3)職務発明の場合でも、発明者は適切な対価を得ることができる(※発明の場合)
本来、著作権とは別の権利ですが、補完する役割も果たしています。例えば、タイトルやキャラクター名称。これは、著作権で保護することはできません。しかし商標として登録すれば、少なくとも同じ商品区分の中では独占的に使用することができます。
また、不正競争防止法が、こんにちでは知財と同じ役割を担っている場合があります。この法律では、ユーザーを誤認させるような商品が禁止されていますが、非常によく似た外観や名称を持っている場合、この規定を適用できる場合があるのです。
厳密な意味では知的財産権ではありませんが、この文脈で重要になる権利に、パブリシティ権というものがあります。
これは、有名人の持つ顧客吸引力を、権利として捉えた場合の呼び名です。例えば居酒屋に「俳優Xさんご愛用の店」と書いてあったら、ある程度の顧客吸引力を持つことでしょう。しかし、そのような吸引力は、俳優Xさんが長年の営業努力の末に獲得したもので、本質的に本人の財産です。そこで、有名人に関して、氏名・肖像から生じる経済的利益ないし価値を排他的に支配することを権利として保護するというのが、パブリシティ権の趣旨です。直接的には財産権ですが、プライバシーを源泉とする、人格権の延長であると考えられています。
パブリシティ権の侵害が裁判で最初に問われたのは昭和50年代ですから、かなり前になります。しかし、広く問題視されるようになったのは、最近のことです。その意味で、「昔はだいじょうぶだった」は通用しません。過去のコミックやゲームなどでは、有名人そっくりのキャラがよく出ていました。作者としては、ファンゆえのオマージュを捧げたつもりでしょうが、今同じことをしたら訴えられそうな事例もみかけます。
なお、パブリシティ権の主体になれるのは、人間だけです。かつて、自らの所有する馬の実名を無断使用されたとして、厩舎・馬主らが競走馬育成ゲームソフトを製作したゲーム会社を訴えたという事例がありました。根拠としたのは、有名な競走馬が持つパブリシティ権というものでしたが、この主張は最高裁ではっきりと否定されました。もっとも、パブリシティ権という概念自体がこの裁判過程を通じてはっきりしたという点で、後に続くものにとっては実りの多い裁判となっています。