みんなの著作権―オンライン専用版―
第1部 かっとび編
著作権法オーバービュー

みんなの著作権 第1部 著作権法オーバービュー

 何かに興味を持って学ぼうとしたとき、頭の中は白紙ではありません。断片的にであるにせよ、対象への知識が入っています。特に実務として取り組んでいる人の場合、部分的にはかなりの深さを持っているものです。
 世に入門書はいろいろありますが、その多くが白紙状態の読者を想定しているため、既にある程度知っている人には、隔靴掻痒な感があります。
 かっとび編は、一気に読んで一気に理解するためのパートです。まずざっと通して読んで、自分の知識を確認してみましょう。そして疑問を感じる部分があったら、▶で示しているキーワードをクリックしてください。
 なお、ここでは著作権法の条文や判例などは、原則として参照しません。また、用語の使い方も、正確さよりも理解しやすさの方を優先しています。

創作されたものは、著作物として扱われます。

 著作物を作った人が著作者、そして著作物によって発生する著作者の権利が著作権です。
 著作権は、創作によって自動的に発生します。手続きなどは必要ありません。

 法律で守られるためには、保護に値するだけの実質が必要です。作り手が「これは私の作品だ」と思っていても、著作物としては認められない場合があるのです。
 著作権法は著作物を次のように定義しています。

  • ◎思想または感情を創作的に表現したもの
  • ◎文芸、学術、美術、音楽の範囲に属するもの

 この中で重要なのは、「創作」と「表現」です。
 例えば、事実を伝える新聞記事の内容。記事の文章そのものが創作でも、そこに描かれている事実は創作ではありませんから、これに対しては著作権は成立しません。トレーニング理論なども同様で、その理論を解説する文章が著作物であるとしても、提案されているトレーニング理論や具体的方法は、著作物ではないのです。また、作品のタイトルも、「内容を表示する」という機能を果たすためにあるという考えから、創作性が否定されています。
 また、アイデアであるとか、物語のあらすじや世界観、画風・作風、映画のカメラワークといったものは、表現される一段階以上前のものであり、表現ではありません。そのため、著作物ではなく、それらが類似していても著作権侵害とはされません。

 著作権法では、「この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである」として、次の9類型を示しています。

1.言語の著作物小説、脚本、論文、講演など
2.音楽の著作物楽曲、歌詞
3.舞踏または無言劇バレエ、ダンス、振付け
4.美術の著作物絵画、版画、彫刻など
5.建築の著作物建物、等、庭園、橋など
6.図形の著作物地図、学術的な図面、図表、模型など
7.映画の著作物映画、ドラマ、アニメなど(物に固定)
8.写真の著作物写真、グラビア
9.プログラムの著作物コンピュータへの指令の組み合わせ

 これは例示なので、これ以外のものでも著作物として認められる余地を残しています。例えば「ゲームソフトの著作物」は今のところ独立区分になっていませんが、コンピュータゲームが著作物であることには疑いがありません。
 また、これに該当しさえすれば著作物であるというわけではなく、保護に値するだけの創作性が必要です。例えば5で保護される建築は、やはり“建築芸術”と呼びうるものでなければならず、実用一本槍のものや量産型では該当しません。たとえば、東京都庁やコクーンタワーなら確実に著作物ですが、同じ新宿にある野村ビルやNSビルになると、かなり疑問です。同様に、東京駅なら著作物でも、新宿駅では難しいでしょう(ただし、主張する実利性があるかというと別問題。建築の著作物は、権利を主張できる局面が限られているからです。詳しくは別項で)。


† 例示と列挙 法律の条文の中でリストが挙げられていた場合、例示と列挙の2種類があります。
 該当する場合を包括的に捉え、リストはあくまでもその例としている場合が例示で、逆にそのリストに載っているものしか該当しないとする場合が列挙です(より明確にするために『制限列挙』という言葉を使う場合もあります)。どちらの意味になるのかは大きな違いをもたらしますが、条文には直接どちらなのか書いてあるとは限らず、別途判断するしかありません。

 多くの知的財産権(特許、商標、意匠)には特許庁への登録が必要なのですが、こと著作権に関しては不要で、創作と同時に発生するという仕組み(=無方式主義といいます)をとっています。にも関わらず、登録制度が存在します(登録先は文化庁)。
 具体的には、次のようなことを登録できます。

  • ・ペンネームを使っている著者の実名
  • 第一発行年月日
  • 創作年月日
  • ・著作権・著作作隣接権の移転など
  • 出版権の設定
  • ソースコード(プログラムの著作物に限る)

 一般的効果という意味では、登録制度があるのは、主に次の目的のためです。

  • 1.起算日をはっきりさせる
  • 2.現時点での権利者をはっきりさせる
  • 3.二重譲渡などがあった場合の勝敗基準として

 著作権の存続期間は、著者の死亡から起算されます。しかし、匿名の著作物の場合はそれができないため、公開時点から起算されることになります。「それでは困る」という人は、実名登録を行うことで、通常通りの扱いにすることができるのです。また、法人が著作者となる場合でも、プログラムなど著作権表示を見せないまま公開する著作物にとって、1の必要性は大きいといえます。
 また、権利というのは、見ることができません。それを見えるようにすることを「公示」といいます。著作権登録は、公示機能を持っています。これが2の意味です。

 そして3は、この2番の応用です。
 例えばあなたが音楽家Aさんから彼の作った楽曲の著作権を購入したとします。ところが、Aさんが同時にBさんにも同じように売っていたら、どうなるでしょうか。契約はどちらも成立しています。しかし売買である以上、購入できるのはどちらか一方だけです。
 このような場合に決着を付けられる力を対抗力といいます。勝敗の基準は簡単で、対抗力を持っている側の勝ち。なので、このときBさんが著作権の移転を登録していたら、あなたの負けです。Aさんに対して損害賠償の請求をすることはできますが、著作権の取得についてはあきらめるしかありません。そのため、取引の安全のためには、契約と登録をセットにすべきなのです。
 ちなみに、不動産には同じ主旨で登記という制度があります。権利というものは目に見えないため、この種の二重譲渡が起こりうるわけですね。実際、不動産登記は、売買などの取引の際にはほぼ100%用いられています。
 ただ、注意しなければいけないのは、あくまでも対抗力だけだということ。登録が真実と異なっていた場合、優先されるのは真実の方なのです。例えばAさんが、元々楽曲を登録していない状態で権利をC社に譲渡し、その後新たに登録してからあなたに売ったのだとすると、そもそも登録の時点で権利がなかったわけですから、最初から真実ではなく、あなたであれBさんであれ、その対抗力をC社に主張することはできません。

著作権の中心は「勝手に複製されない権利」です。

 これを中心にいろいろな権利が束になっています。

 本文で言っている中心的な権利を、「複製権」といいます。法はこれ以外に、たいへん多くの権利を規定しています。

上演権、演奏権公衆に見せたり聴かせたりする権利
上映権著作物をスクリーンなどに上映する権利
公衆送信権公衆に受信させることを目的に送信する権利
口述権朗読などを行う権利
展示権美術や写真の著作物の原作品を展示する権利
頒布権映画の著作物を複製物で頒布する権利
譲渡権映画以外の著作物についての、他人に譲り渡す権利
貸与権レンタルなどに供する権利
翻訳権、翻案権外国語への変換や変形・脚色等を行う権利

 公衆送信権は、放送およびインターネットでの公開を対象にした権利です。頒布権は映画のみに認められる権利で、譲渡や貸与などを二次譲渡以降も禁止できるというものです。
 これらは、直接的には「それを禁止できる権利」として機能します。裏返せば「認める権利」にもなるわけです。

 著作権の中心は複製権です。他の“なんちゃら権”というのも、実際には複製権の類推で何とかなりそうなものが大半です。しかし、著作権のような、世間に向かって主張できる(=対世効のある)権利は、法律で規定されていない限り認められないというのが、法のルールです。例えば「サーバー上にアップして誰でもダウンロードできるようにする」という行為は、実質的には複製と同じですが、誰かがダウンロードするまでは複製は始まらないのですから、やはり全く同じではありませんね。そこで、こうした行為に禁止権を与えるためには、そういう内容を持つ新たな権利を法律で作らなければならないのです。この“無断でアップロードされない権利”は、実際には「公衆送信可能化権」として、1996年の改正で追加されました。
「権利が認められる」というのはいいことのように見えますが、実際には認められた本人以外にとっては、新たな義務が課せられるということに注意が必要です。著作権法の権利は、世の中全体に対して効力がある(=対世効を持つ)権利なので、新たな権利が創設されると、権利者以外の全ての人が新たな義務を持つことになります。そのため、法律できちんと規定する必要があるのです。

著作権は、民事法上、所有権と同じ扱いになる権利です。

 譲渡することもできますし、権利は自分の手元にとどめたままで、その使用を許可する(=ライセンス)こともできます。

 民法上、私権は「物権」と「債権」の二つに分かれます。
 物権は、物に対する権利。何かを所有しているといったことです。一方債権は、特定の誰かに何かをさせる権利。例えば二人の人間が何かの約束を交わしたら、お互いにそれを守る義務と守らせる権利が発生します。物権の代表例が所有権で、債権の代表例が契約です。そしてそれぞれの効果を端的に言えば、「物権は対世効をもち、債権は対人効しか持たない」ということになります。物権であれば世界に向かって叫ぶことができるのですが、債権を叫べる相手は契約を結んだ相手だけなのです。例えば私があるフィギュアについて1万円で譲るという契約を交わした場合、私は相手にそのフィギュアを渡す義務があり、相手は1万円を支払う義務があります。しかし、話をききつけた無関係な誰かに「俺も1万払うから、同じ物売ってよ」と言われたところで、応じる義務はありません。
 「著作権が所有権と同じ扱い」というのは、それが物権の一種だということです。つまり、対世効があるのです。どのように使うのかは自由ですし、他人に貸して代金を取るとか高値で転売するとかいったことも、他の法に抵触しない限り、自由に行うことができます。

 物の所有者が、その物をお金に換えたい場合、通常は2つの方法があります。売るか、貸すかです。売ってしまうと、所有権は移転し、以後その物への権利はいっさいなくなります。貸す場合は、現実の支配が移転するだけで、本来の権利は変わりません。
 著作権の場合も同様で、売るのも貸すのも自由です。ただ権利の場合「本体」というのは特にないので、同時に複数の人に“貸す”こともできます。これがライセンスです。使用することを認め(法律用語としては『許諾』といいます)、その代償としてお金を受け取るわけです(もちろん無償でもかまいませんが)。
 その内容は契約で自由に決めることができます。「1年間」といった期間を区切ることや、「アメリカ合衆国内」というように地域を限定する形での譲渡も可能です。


† 譲渡 民事法用語の“譲渡”は、一般語とは違って、有償無償を問いません。プレゼントする場合も売る場合も、どちらも譲渡です。

法人も著作者になることができます。

 法は、人間の集団を「人」として扱う場合があり、このような場合の「人」を「法人」といいます。
法人も人なので、著作者になることができます。例えば会社で作ったゲームソフトなど。この場合の著作者は、会社に属するクリエイターではなく、法人である会社自身です。このような場合を「法人著作」(クリエイターの側から見れば“職務著作”)といいます。

 民事法上、権利の主体になれるのは「人」だけです。法人は、本来“人”ではないものを、法律によって人として扱う=権利の主体にするという制度で、その名の通り法によって決まっています。
 いちばん身近なものが会社。株式会社や合同会社などで、会社法が要件および設立のための手続きを決めています。他、社団法人・財団法人や、学校法人、宗教法人、医療法人など。それぞれ個別の法律で要件と手続きが決められていて、設立申請して認められることで法人格を獲得するわけです。法人格を持つ法人は、財産権において人と同じ扱いになり、権利義務の主体になることができます。
 ただ、民事法上では、正式な法人格を認められていなくても、実体としての法人であれば、相応の範囲で法律上の当事者として扱うというのが決まりです。著作権法では、代表者や管理人の定めがある団体を法人として扱うことになっています。各種親睦団体や学校のサークルなども、多くのグループが該当するでしょう。


† 人 通常通りの意味での「人」のことを、法人と対比して「自然人」といいます。

 職務著作が成立するためには、次の4つの要件を満たすことが必要です。

  • 1)法人の発意に基づいている
  • 2)作成したのは、法人の業務に従事する者である
  • 3)職務上作成している
  • 4)法人の著作名義で公表している ※プログラムの場合不要

 経営者の人たちは「会社の機材使ったんだから」みたいなことを考えてしまいがちですが、実は、そのことは全く関係ないのです。例えば社員が仕事時間中にサボってこっそり同人ゲームを作っていたというような場合、2以外該当しないわけで、その著作権は社員個人の方にあります。会社としては、「サボってた分の給料と機材使用料を弁償しろ」までしか主張することはできません。
 ただ、ゲーム会社など、社員に創作をさせる業種の場合(特に1において)困ることが多いので、実務的には、雇用契約の中に「社員として行った制作の全ての権利は会社に属するものとする」といった条文を設けることで対応しています。ただ、これをむやみに拡げてしまう(例えば、『勤務時間内外を問わず、雇用期間中に制作した著作物の一切の権利は・・・』などというように)例も見られ、困ってしまうのですが。

 職務著作が成立するためには、使用/被使用の関係にあることが重要なのであって、その契約形態は問題にされていません。つまり、社員だけではなく、契約社員やアルバイトの場合でも、条件を満たせば成立します。インターンシップやボランティア参加の場合でも、「指示のもとで従事した」などの事情を満たしていれば成立するでしょう。
 一方、フリーのクリエイターとの間の契約は、業務委託契約という形をとります。法的には、委任(正しくは準委任)契約あるいは請負契約となりますが、後者の場合、契約の目的が業務に従事することではない(成果物の納品が義務)ため、法人著作も成立しません。
 これも、通常は契約の内容で解決されています。「甲は本契約に基づいて作成したものに関する著作権の一切を乙に譲渡するものとする」といった文言が条文のどこかに書かれていることが多いのです。なお、著作者人格権は譲渡できないのですが、これについては「主張しないものとする」といった条文を盛り込むことで対応するのがふつうです。

ある著作物を元に作られた別の著作物を、二次的著作物といいます。

 そして二次的著作物から見た元の著作物を、原著作物といいます。
 二次的著作物の作者は自身の著作権を持ちますが、原著作物の著作者はそれと同じ権利を(併存的に)主張することができます。つまり、二次的著作物をさらに翻案するなどの場合も、原著作者の許諾が必要だということです。

 漫画にはしばしば「原作」がついていますが、多くの場合これは絵的表現を伴っておらず、いわゆる脚本として文章で書かれることが多いものです。では、そのような場合の原作者でも、漫画の絵そのものについて、著作権を主張することができるのでしょうか。
 実際にこういう問題が争われた裁判があります。作画を担当した漫画家が単独で行ったキャラクター商品へのイラスト使用許諾に対して、原作者である小説家が著作権侵害を訴えたという事例です。裁判所は、このケースで原作者に原著作者としての立場を認め(つまり、漫画家の仕事は、原作を元に行われた二次著作と認定したということです)、個別に描かれたキャラクター絵にも原著作権がおよぶとして、訴えを全面的に認めました。
 この結論は、漫画家に対して過酷なように思われますが、最高裁で確定した結論で、法自体が変わらない限り変更されることはありません。雑誌などを見ると、「原作」という言葉自体を避けるケースが増えているようにみうけられます。

著作権は、一定の条件下で他人の自由な使用が認められます。

 著作権者は、いつどんな場合でも主張できるわけではありません。代表的なものは、個人の私的な使用のための複製、そして引用です。それ以外にも、詳細な規定が決められています。

 「個人または家庭内およびそれに準じる限られた範囲内での使用」という条件で、使用者による自由な複製を認めています。兄弟間での融通はOKですが、友人間の場合ですと「家庭内に準じる」とは言えなさそうですから、同居でもしていない限りNGです。また「家庭内」ですから、個人がプライベート用に買ったソフトを会社でも使うという行為も、私的使用とは認められません。
 また、次のどれかに該当する場合は、私的使用であっても複製が認められません。

  • 1)公衆自動複製機器を用いた複製
  • 2)技術的保護手段がかけられている物について、それを回避しての複製
  • 3)著作権侵害の自動公衆送信を受信して行うデジタルの録音・録画(侵害を知っている場合に限る)
  • 4)同じく、侵害を知りながら受信して行うデジタルの複製一般(軽微でないものに限る)

 1が対象にしているのは、実際にはビデオテープのダビング(複製)機です。家庭用ビデオデッキが普及してきた頃、そういう装置があったのです。しかし、自社ビジネスの妨げになると思ったコンテンツ業界が当局に働きかけた結果、法が改正され、このように直接排除するような条文が盛り込まれました。装置そのものが消滅してしまった現在では意味の分かりづらい規定です。なお、文面の上ではコピー機一般があてはまりますが、実は著作権法の附則で「当分の間、もっぱら文書または図画の複製に供する物を含まないものとする」と規定されてあり、除外されています。

 2が規定している「技術的保護手段」というのは、コピープロテクトないしアクセス制限のことです。これらを回避して複製する行為が、違法とされています。回避しないで複製する分には問題ありません。
 3が対象にしているのは、音楽や映像のコンテンツです。2000年代になってインターネットの普及でユーザー間でのファイル交換が行われるようになり、従来の規定では権利の保護が難しくなってしまいました。そこで、特に問題が大きかった音楽と映像に限って、その複製を私的使用であっても違法化したのです。

 4の対象は、音楽・映像を除いた著作物一般です。3が導入されてから約10年後に追加されています。その間にインターネットはさらに普及、違法化の対象を拡げる必要が出てきたのです。ただ、二次創作やスクリーンショットなど、配慮しなければならないことも多かったことから、単に3の対象を広げてよしとするわけにはいかず、除外されるものを細かく規定した上で、別号として規定されています。

 元々著作というのは、先行する他の著作物がなければできません。その意味で、自分自身も後から来る他の著作に利用されることは、制度の仕組みとして当然だといえます。
 引用は、他人の著作物の一部を自分の著作物の中に使う行為ですが、次の条件を満たせば、相手の許可をとらずに行うことができます。

  • 1)対象著作物が、公表されている
  • 2)公正な慣行に合致している
  • 3)引用の目的上、正当な範囲内で行われる

 3でいう「目的」は、報道・批評・研究などとされています。小説やブログなどで、他人の絵を単に挿絵代わりに使うような場合は、引用とは認められません。
 なお、引用する量などは条文上の決まりはなく、目的の他、公正な慣行に合致するかで判断されることになります。
 また、「出所表示」と「明瞭区分性」のふたつの条件もあります。前者は、誰のどんな作品のどこから引用したのかをはっきり示すということで、後者は『ここは引用です』のように、他の部分と区別ができるようにするということです。
 する側にとっての引用は、法に規定された権利なので、著者の一方的な宣言だけで制限することはできません。よく書籍の目次や奥付などに「無断引用等を禁じます」などと書かれている例をみかけますが、これなど担当編集者の勉強不足を宣言しているようなものです。

 たいへん細かく規定されています。分類の上列挙すると、このようになります。

◎教育などの目的

教育機関における複製ドリル等の複製など、著作者の利益を害する場合は不可
試験問題としての複製営利目的の場合は補償金の支払いが必要
教科用図書等への掲載著作者への通知と補償金の支払いが必要

◎公共目的

図書館等における複製利用者に供するためまたは保存のために認められる
視覚障害者のための複製等点字化。電子版や公衆送信にも対応
聴覚障害者のための複製等文字の音声化など。公衆送信にも対応
裁判手続き等における複製裁判の他、立法や行政でも必要限度において可能
情報公開法等における開示のための利用著作権を楯にとって拒絶することを禁止
インターネット資料収集のための複製国会図書館に認められる

◎美術品関連

美術の著作物等の原作品の所有者による展示著作権者はこの場合には点字権を主張できない
公開の美術品の著作物等の利用屋外での公開が条件
美術の著作物等の展示に伴う複製作品展パンフレットなどでの使用が対象
美術の著作物の譲渡等の申し出に伴う複製オークションの出品リストなど

◎技術的必要性から

プログラムの著作物の複製物の所有者による複製等媒体破損などへの備えとして
保守・修理のための一時的複製ハードディスクのバックアップが想定
放送事業者等による一時的固定オンエアのための複製など
通信障害防止のための複製
情報解析のための複製
コンピュータのキャッシュサーバー上へのキャッシュも含む

◎その他一般利用規程

付随対象著作物の利用写り込んでしまった場合は軽微ならOK
検討の過程における利用カンプ作成などが限定的に認められる
非営利目的の上演・上映・貸与等
時事問題に関する論説の転載等著作者が認めていない場合は不可
政治上の演説等の利用個人演説集の類の発行は不可
時事の事件の報道のための利用必要な範囲内で認められる

 アメリカなどでは「フェアユース」という一般規定があり、目的や使い方において公正な使用であれば、無許諾での利用が許されます。日本法ではこの規定がないため、許される条件をこのように列挙される必要があるのです。

著作権の対象になるのは、創作されたものです。

 作品の中に込められた思想やアイデアなどは保護対象外ですし、書かれている事実そのものも保護されません。また、タイトルにも認められません。

 著作物となるためには、思想または感情を創作的に表現したものであることが必要です。
 絵画の場合の絵や小説の場合の文章など、表現そのものでなければこれには該当しません。構図やプロットは、具体的な表現の一段階前にあるわけですから、これは「まだ表現されていない」ということになり、著作権も認められません。よく騒がれる「トレス疑惑」ですが、道義的にはともかく、法的には責任を問われるケースは少ないのです。
 ただ、実際のコンテとか下描きといったものはそれ自体著作物ですから、勝手に複製してもいいという訳ではありません。

 著作権は、とても強力な権利です。特に何の手続きもしないまま、世界中の他人に対して主張できるからです。このことを逆に言えば、世界のどこかで誰かが作った権利でも、自分の知らないうちに守らなければならない義務が発生するということになってしまいます。
 例えば、アイデアに著作権があるとしたら、どうなるでしょうか。“恋愛シミュレーション”というアイデアそのものに権利が認められたら、最初に作った会社以外は出せないことになり、カテゴリーそのものをあきらめるしかないということになってしまいますね。同じことが他のあらゆるタイプのゲームにも言えてしまう。結果として、ゲームという作品自体が何の進化もできないということになってしまうでしょう。
 誰かに権利を与えるということは、別の誰かに義務を課すということです。いいことばかりではありません。

デザインの著作権は制限的です。

 工業製品や印刷物など、通常デザインと呼ばれるものは著作権法では「応用美術」とされ、著作権の対象になる場合が限定されます。ただし、美術工芸品の場合、著作物として扱われます。なお、工業製品には著作権以外にも知的財産権を守る方法があります。

 かつては「これは応用美術だから」という形で一律に著作性が否定されていましたが、現在では「実用的機能を離れて見た場合に美的鑑賞の対象となりうる美的特性」という視点で肯定されるようになっています。とはいうものの、認められにくいことは現実です。
 実際のデザインワークは、創作と言うにふさわしい知的な営みです。にも関わらず著作権が認められにくいのは、デザイナーとしては不愉快なことかもしれません。ただ、境界線というのは、どこかで引かなければなりません。日本法の場合、美術工芸品と応用美術の間にその線を引いたということです。また、デザインには「意匠権」が設定できる場合が多いので、そちらを法的保護の中心と捉えているともいえます。

 特許権や商標権とならぶ知的財産権として、意匠権というものがあります。これはまさに工業製品のデザインを客体にした制度です。所定の手続きによる特許庁への登録が必要ですが、法的な権利として設定することができます。
 対象にならない場合でも、不正競争防止法を使うことで模倣品の排除は可能です。例えばエルメスのバッグやロレックスの時計など、形状そのものは何の変哲もなかったり、昔からずっと同じ形だったりした場合、意匠で守ることはできません(意匠の有効期間は登録後最長20年、更新不可)が、現実には不正競争防止法に基づいて「消費者の誤認を誘う」として、模倣品の摘発が行われています。

プログラムは、特別の規定が設けられています。

 成立条件や権利の範囲が著作物一般とは違うものになっています。また、データベース著作物についても、あわせて規定されています。

 具体的には、次の3点で違いがあります。

  • 1)所有者は、必要な限度で複製・翻案できる
  • 2)公表されていなくても、法人著作が成立する
  • 3)著作者人格権のうち、同一性保持権を主張できない

 これは、プログラムというものの特徴から来ています。
 まず、脆弱であるということ。ハードディスクのような電磁気的な記録に依存しているため、予期せぬ原因によって破壊されてしまうことがあり得ます。
 また、それが匿名的であるということ。パソコンが動いているとき、無数のプログラムが走っている訳ですが、その全てがいちいち著作権表示をしてきたら、うっとうしくて仕方ありません。また、家電品組み込みチップの中でもプログラムは動いています。このような動いているものだと、全く表示されません。
 さらに、常に手直しし続ける必要があるということ。一定以上の規模のプログラムには必ずバグが含まれています。また、業務用システムの場合に多いのですが、社会事情の変化(例えば税率の変更など)によって手直しを要する場合が不断に発生します。
 一般のルールを適用してしまうと、ディスクがクラッシュすれば一巻の終わりで、バグなどがあっても手出しできないということになってしまいます。そこで、ユーザーの権利を守るために、1や3の規定が設けられているのです。

 データベース著作物は明文の規定で定義されていますが、実際に適用される範囲はきわめて限定的です。
 まず、データそのものには著作権がありません。作成においてもっとも手間がかかるのはデータの収集ですが、いかに手間がかかろうと、そのことと著作物になるかどうかは無関係なのです。結局、見出しや情報の並べ方などに保護に値するだけの独自性がある場合に認められるなどとされていますが、現実問題としてそのような独自性など、技術が成熟してしまった時代では出しようがありません。結局、認められるだけの根拠が乏しいのです。
 元々日本法の場合、無断複製などについては著作物でない場合でも責任を問うことができる仕組みになっているため、無理してデータベース著作物を認定する必要性が薄いといえます。条文にある以上無視もできないので本テキストにも書いていますが、実際には既になくてもかまわない規定だと言えるでしょう。

映画の著作物には特別な規定があります。

 著作者は「全体的に創作した者」(通常は監督)とされます。ただし、財産権としての著作権を行使できるのは、製作者(通常は製作会社)とされています。また、「映画は、脚本を元に作られている」という考えから、脚本家は一レベル上の著作者としての権利を持ちます。
 なお、映画著作物だけに認められた特別な権利として、勝手に販売などすることを禁止できる権利(=頒布権)があります。これによって中古流通なども禁止することができますが、認められるのは劇場公開用のフィルム等に限られ、家庭用のDVDなどには適用されません。

 簡単に言ってしまえば、「財産権は製作会社に、人格権は監督に」ということです。
 考え方を述べると、こうなります……「本来は関係したスタッフの共同著作といえるが、監督がそれを代表して著作者となる。ただし権利は自動的に製作会社に譲渡されるため、監督に残るのは著作者人格権だけである」。
 著作権法の原則では、共同で作られた作品の著作権は、全員が持ちます。映画は、多くのスタッフが集まって作る共同作品であることを考えると、本来であればこれが適用されるべきなのですが、その人数は数十人から数百人という規模になってしまい、現実的ではありません。そこで、監督一人に著作者としての権利を代表させます。そして、実際に人・金・現場を手配し費用を負担しているのは会社なので、そこが費用を回収できる仕組みを作っておく必要があり、財産権部分はただちにそちらに譲渡という形で、全体の制度を調整したのです。
 これは、映画業界の意向が強く反映されて作られた仕組みです。というのも、こういう形の制度が設けられた時点ではまだスタジオ制が残っていて、映画会社は配給網に加え制作部門も持ち、自社のスタッフ・キャストを使って直接制作を行っていたからです。

 今日では、出資者と制作会社が異なるのが常です。その代表的なものが「製作委員会」方式。これは、スポンサー企業を複数集めて製作委員会を組織、そこが制作会社に発注して映画を作るという方式です。これによって、出資した会社は、著作権の共有者として経済的利益を得ることができるのです。製作会社が作品を企画、スポンサーを集めるとともにクリエイターや制作会社を手配して主体的に映画製作を行っていくスタイルが想定されていますが、実際には個々に異なります。制作会社が制作費調達のために進めることもありますし、また応じるスポンサーにしても、純粋に投資案件として出資する場合もあれば、窓口権自体に価値を見出す場合もあります。
 このようなわけで、映画会社の一元的製作を前提にした従来の制度はどうにも合わなくなっていますが、監督たちの抗議を圧殺して導入を図ったという経緯から、この手直しはなかなか容易ではありません。


† 製作会社 制作と製作は、著作権の有無という点で区別されます。制作費を受け取って作品としての側面を作るのが制作で、その制作費を始めとした資金を負担し著作権者となるのが製作です。なので、“セイサク・イインカイ”は、必ず「製作委員会」で、「制作委員会」となることはありません。現場では、漢字の違いから「うちは“衣”の付く方のセイサクです」などという言い方をすることがあります。

‡ 窓口権 広告での利用や商品化など、コンテンツの二次利用について窓口となる権利。また、テレビ放映や出版など、自社が独占的に利用する場合も含まれます。

 漫画において原作者が原著作者の立場に立ったのと同じように、映画における脚本家は、映画そのものの原著作者となります。つまり著作権法上では、「映画は、脚本を元に作った映像作品」と考えられていて、脚本というものの立ち位置が映画そのものの外にあるのです。
 これは、日本の実務とはかけ離れた仕組みです。多くの場合、プロデューサーと監督で話の大枠が決められてから脚本は書かれますし、そうして書かれた脚本も監督によって撮影現場でどんどん変更されていくものです。
 実務的には、報酬請求権つまり原稿料を受け取る権利以外の特別な権利は、関係者の間では認められていません。ただ、二次利用(ビデオ化やテレビ放映など)の際にも使用料を受け取れるということが、業界慣習として成立しています。

 映画の頒布権には、他の知的財産権にはない独特の効果「権利を消尽しない」というものが含まれています。通常の場合、最初の譲渡によって持っていた権利は消尽(しょうじん;つかいはたすこと)してしまうのですが、映画の頒布権だけは別で、いつまでも存続し続けるものとされています。
 これは映画独自の流通である配給制度を前提にした仕組みです。配給制度は、配給会社と興行主で入場料収入を分け合うというもの。上映によって得られた収入は興行主取り分を引いた上で配給会社に納められ、配給会社はそこから手数料をとった上で製作会社にバックするという仕組みになっています。もし権利消尽の原則どおりに運用すると、フィルムが転売されてしまうと、製作会社は以後いっさいの収入を絶たれてしまうということになり、制作費の回収を行うことができません。そこで、こうした配給制度を保証するために、消尽無しの頒布権が導入されたのです。
 かつては解釈が曖昧で、家庭向けのビデオグラムでも消尽無しの頒布権を前提に商慣習が形成されていましたが、ゲームソフトの中古販売を巡る裁判を通じて「一般消費者向けに大量生産される場合は適用されない」という形で決着が付き、映画一般の権利としては否定されました。

美術品の場合、所有権との関係が問題になります。

 例えば画廊で絵を買った場合、所有権は買い手のものですが、著作権まで移転するわけではありません。所有者であれば展示権が認められるので、展示したり、また展示会の案内状に印刷したりすることができますが、それ以外の行為は無許諾で行うことはできません。そのため、勝手に写真撮影などをすることは著作権侵害となってしまいます(公共の場に展示してあるものを除く)。なお、著作権には期限がありますが、所有権は永久です。その結果、著作権切れの美術品について、所有者は事実上独占的に扱うことができます。

 一般的な美術館の場合、古典作品だけを展示しているということはないため、著作権が残った作品も混在しているということになります。写真撮影が一般的に禁止されるのは、この理由からです。加えて日本の美術館の場合、集客の中心は企画展です。この場合、所有権すらない作品を展示しているということになります。
 なお、ルーブル美術館は、写真撮影をする人には別料金を取っています。つまり、お金を払えばOKということですね。これはルーブルに限らず欧米の美術館にはよくあることで、安定収入の確保のために役立っています。

 屋外の公共の場所に恒常的に設置されている著作物は、同じものを複製するなどの場合を除いては、自由に利用することができます。つまり、その前で記念写真を撮ってもいいですし、それ自体を撮ることも構わないのです。また、同じものの複製でなければいいのですから、スケッチなども許されます。
この規定は、建築の著作物にも適用されます。つまり、著名な建築家が作ったランドマーク的な建物でも「同じ形の建物を建設する」以外は、特に制限されることはありません。思う存分撮影できるばかりか、CGで再現しても構わないということです。

 所有者は、現実の支配権を持っているため、あたかも著作者のように振る舞うことができます。しかし、著作権の切れた作品の場合、その使用権は本来誰のものでもなく、誰もが自由に使っても構わないものです。
 この点は、誰かが所有する美術品も例外ではありません。もちろん所有者は、所有権に基づいて撮影を禁止することもできます。しかし、いったん撮影されたものについて、その複製などを禁止することはできません。それは所有権の及ぶところではないからです。

演奏家・俳優・ダンサーなどは、著作者に近い権利を認められます。

 これら著作物を“実際に演じる”人たちを著作権法は「実演家」と規定、著作権とは異なる独自の権利を認めています。これを著作隣接権といい、本来の著作権と抵触しないような形で権利が決められています。
 著作隣接権は、実演家の他、放送事業者とレコード製作者に認められています。

 許諾することができる権利として、次の3通りが規定されています。

  • 1)録音権、録画権
  • 2)放送権、有線放送権
  • 3)送信可能化権

 他、商業レコードを対象にした二次使用料請求権と貸与にかかる報酬請求権が認められています。つまり、レコードレンタルを許諾するかどうかの決定権と、報酬を受け取る権利が与えられているのです。
 また、実演家人格権として、氏名表示権、同一性保持権も認められています。

 具体的には、次の4つが決められています。

  • 1)複製権
  • 2)再放送権・有線放送権
  • 3)送信可能化権
  • 4)テレビ放送の伝達権

 4以外はだいたい読んで字のごとしなので、細かい説明は省略します。
 で、その4ですが、具体的に言えば、パブリック・ビューイングです。条文上は「映像を拡大する特別の装置を用いて受信した放送を公に伝達する」こととして定義されています。スポーツの国際試合のとき、大勢が集まって大スクリーンで観るといったことがよく行われていますが、4が対象にしているのはこういうものです。また、サッカーやモータースポーツではそれ専門のカフェもありますが、この場合も使っている機材が家庭用民生機でない限り、該当することになるでしょう。
 では、なぜ放送が著作隣接権の対象になっているのでしょうか。
 ちょっと考えると、「映画」として著作権を取得することができそうに思えます。しかしこれでは放送一般をカバーすることはできません。なぜなら、ニュース番組やスポーツ中継など、映像作品ではあっても映画ではないものが多いからです。
 もし、これらが「著作物ではない=保護をいっさい受けられない」としてしまうと、きわめて不合理です。そこで、著作隣接権という形で保護対象となっているわけです。

 許諾することができる権利として、次の4通りが規定されています。

  • 1)複製権
  • 2)送信可能化権
  • 3)譲渡権
  • 4)貸与権

 他、商業レコードを対象にした二次使用料請求権と貸与にかかる報酬請求権が認められています。
 また、「侵害とみなす行為」の一つとして、日本国外で発行された商業用レコードを日本国内に頒布目的で輸入する行為が規定されています。これは海外向け邦楽盤の国内還流を防ぐという目的で2005年に導入されたもので、実際の運用としては、レコード会社が対象盤に「日本販売禁止」などの表示を行い、国税庁に対して輸入禁止を申し立てるタイトルを申告することで実施されています。つまり、レコード会社としては自らの選択で任意に輸入禁止をかけられるため、権利とみなすことも可能です。俗に「レコード輸入権」と呼ばれることもあります。

 注意を要するのが、1の複製権です。これは「レコード製作者は、そのレコードを複製する権利を専有する」というシンプルな規定ですが、一般に「原盤権」と呼ばれる強い権利をレコード製作者に与えます。これは著作権とは独立した財産権で、原盤権を持つ者は著作者の許諾を得ることなく、商業レコードを生産できるというものです。
 アナログ時代、レコードの原盤製作には大がかりな投資を必要としました。もし著作者が著作権を振りかざし無理な要求をしてきたら、レコード会社は大きな損失を被ることになります。そこで、著作権とは独立した財産権としての原盤権を認める必要があったのです。
 ただ、デジタル化された今では、原盤といってもしょせんは電子媒体に過ぎませんし、レコーディングも必ずしも大規模なスタジオを必要としません。その意味で既に時代から外れた規定なのですが、現段階では知っておく必要があります。

出版社は、著作物の出版を専有できる権利を持つことができます。

 これは出版権といい、著作者との間で出版権設定契約を結ぶことによって設定されます。登録することによって、第三者に対しても主張できる権利になります。

 出版権そのものは非常にシンプルな権利で、本文に書いたとおりの内容です。問題はこれがどういう具体的な権利義務を持つのか、またいつまで有効かということですが、「契約上特に定めがない場合」という条件で、規定されています。

  • ・出版社は、原稿を受け取ったら、6ヶ月以内に出版しなければならない
  • ・出版社は、その本が品切れになったら、増刷しなければならない
  • ・最初の出版日から3年を経過した時点で出版権は消滅する。
  • ・出版社が6ヶ月たっても本を出さない場合のような義務違反があれば、著者は出版権を消滅させることができる。
  • ・出版社は、著者の承諾がない限り、出版権の譲渡や質入れなどができない
  • ・著者は、最初の出版から3年の間は、全集など他の形の出版に収録することができない

 これらは「任意規定」といって、契約に決まりがあればそちらが優先されるというものです(逆に、契約でも変更できない規定を、強行規定といいます)。
 わざわざ契約をしているのにこんなことすら決めていない場合などなさそうに思えますが、実はかつての日本の出版界では、いちいち契約書を交わすことの方がまれだったという事情があります。作家と編集者の口約束だけで決まったことに法的根拠を与えるため、白地部分を埋めるための規定が必要だったのです。

 いいえ。
 元々版権というのは、旧著作権法(明治32年制定)ができる前に存在していた制度の名称です。「著作権」という概念が登場してからは法律用語としての役割を終えたのですが、日常語としては著作権の別名としてある程度定着してしまいました。こんにち使われる「版権もの」「版権ビジネス」という用法は、その意味で明治時代にさかのぼる俗称なわけです。
 なお、音楽業界では著作権そのもののことを出版権と呼ぶ場合があるので、注意が必要です。あきらかな誤用だと思うのですが、これも法制度の異なる欧米のシステムを翻訳した結果であるため、否定しきれないのです。

 出版契約そのものは債権で、それを結んだ当事者間にしか効力がありません(=対人効)。しかしこれだけでは、著作権としての実体的な保護がなくなってしまいます。例えば、出版契約を結んだ著者がライバルの出版社に同じ原稿を渡した場合でも、契約した出版社が何らかの要求をできる相手は著者だけで、ライバル社に対して差し止めを要求したりはできないからです。そこで、契約の結果として著作権の一種(=物権的権利)である出版権が発生するようにして、第三者に対しての効力(=対世効)を与えているのです。

著作権の存続期間は、基本的に著作者の死後70年です。

 著作者が匿名や変名あるいは不明の場合は、公開から起算します。団体名義の場合や映画の著作物も公開からの起算です。著作隣接権も存続期間は70年ですが、起算時が個別に決まっています。
 なおこれらは月日ではなく、年単位です。死亡日ではなく、死亡日の翌年1月1日を起算日とし、満70年が経過したことで、著作権消滅となります。

 複数の著作者が参加して作成した著作物で、各自の担当作業が分離できない場合は、共同著作物という扱いになります。この場合、各種利用に当たっては、参加した全員の許諾が必要です(なので、一人でも反対者がいたら利用できないということになるのですが、断るには正当な理由が必要とされています)。
 なお、著作権の存続期間を計算する際には、最後の一人の死亡時から起算します。

 海外の著作物については、相互主義から、70年とは異なる期間となる余地があります。
 相互主義とは、相手国の著作権存続期間が自国のそれよりも短い場合は、相手国の側に合わせるというもの。例えばX国の著作権存続期間が30年であった場合には、日本でX国の著作物を利用する場合、30年が経過すればパブリックドメインとなり、自由な利用が可能になります。これがなぜ「相互」なのかというと、相手のX国では日本製著作物は30年でパブリックドメインになるからです。
 最近まで、日本は「50年」という、欧米諸国の水準でいえば短い方になる存続期間を持っていました。それらの国では著作権は70年存続しますが、その国においても日本製著作物は50年でパブリックドメインとなっていたのです。現在でも、かつての日本と同じ50年としている国は多く残っており、それらの国の著作物については、日本国内でも50年で権利終了となります。

 国によっては、戦時加算というものが加わる場合があります。
 これは、第二次世界大戦の連合国側の国に対して、開戦から平和条約批准までの日数分、著作権有効期間を延長するというものです。実際には10年程度になります。
 連合国といっても全てではなく、対象国は15ヶ国。主要なところでは、ロシア・中国が含まれていません。

著作者には、著作権とは別に、著作者人格権が与えられます。

 著作物は、著作者の思想や価値観などを反映したものでもあることから、プライスレスな権利が著作権と別に認められています。①無断で公表されない権利、②公表時の名義を省略されたり変更されたりしない権利、③勝手に内容を変えられない権利の3つです。また、これ以外に「名誉や声望を損なわれるような使われ方を禁止する」という規定があり、これを「名誉声望保持権」と呼んで、第四の著作者人格権とする考えもあります。
 著作者人格権は「一身専属」の権利なので、本人が死ぬと終わります。また、譲渡できませんし、相続の対象にもなりません。

 「公表権」「氏名表示権」「同一性保持権」といいます。
 実務的には、同一性保持権を巡る問題がいちばん多いです。
 作品が世に出るためには多くの場合編集が必要です。例えば写真のトリミングや被写体の再構成などは必要性が高いですし、文章メディアであれば、用語用字の統一を図る目的での書き換えも頻繁に行われます。こうした、編集する側からすれば「編集行為の当然の結果」に過ぎないものが、写真家・イラストレーターやライターにとっては「作品の無断改変」となってしまうことが少なくないのです。

 公表権・氏名表示権・同一性保持権の3つは、著作権法の前の方で同じ章にまとめて記述されていますが、4番目の“名誉声望保持権”は、それを定める直接の規定はなく、後ろの方で「侵害とみなす行為」の一つとして規定されています。そのため、正しい法律解釈で言えば、これは“事実上の権利”で、著作者人格権そのものを構成することにはなりません。

 著作物は、思想や信条を反映させたものでもあります。もしこれが譲渡可能だったとすると、意に反した内容に書き換えられても文句を言えないということになってしまいますね。これでは、「思想良心の自由」という憲法上の権利がないがしろにされてしまいます。
 なお、クリエイターが発注主と結ぶ「業務委託契約」などでは、「著作者人格権は主張しないものとする」といった形の条文が入れられています。この有効性も疑問なしとはできないのですが、広く通用している方式です。

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